さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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死について

よしをです。

わたしは両親を早くに亡くしました。

父は50代で亡くなりましたが、わたしは現在、父の年齢を超えて生きています。

丈夫に生んで、育ててくれた両親には感謝しかありません。

 

身近な人間が亡くなるとき、死について、あらためて考える機会になります。

 

もともと、子どもの頃から、死の恐怖について真剣に考える、少し変わった少年でした。

子どもの頃は、死に向かう痛みや苦しみに畏れを抱いていましたが、

長じるにつれ、自分の肉体的な存在、あるいは意識がなくなることに

恐怖をおぼえるようになりました。

 

高校生になって、哲学書を読むようになりました。

哲学者にとっても、やはり死は大きなテーマです。

かれらが一様に語っているのは、肉体的な消滅ではなく、

精神的な消滅を死ととらえているということです。

ショーペンハウエルは、

人生は、「生まれた瞬間から、人々の記憶から消えるまで」と規定しています。

物理的な死とは、単に眠りから覚めない状態を示すだけともいいます。

考えてみれば、人間は寝ている間は意識がないわけですから、

死んでいるのと何ら変わりはありません。

(ただし、決定的に違うのは、目覚めるか、目覚めないかの違いです)。

肉体は滅んでも、身内や知人が、自分のことを思い出してくれる間は、

精神的に存在している、つまり、生きているのだといいます。

 

哲学者によって、死のとらえ方は違いますが、

わたしは、ショーペンハウエルの考え方が一番、納得できますし、

これからも、(物理的に)前向きに生きていけるように思うのです。

 

さて、何がいいたいのかといえば、家族のすばらしさについてです。

わたしも、ときどき亡くなった両親のことを思い出します。

そして、妻や子供にも、生前の両親のエピソードを話して聞かせる

ことができます。

間接的ではありますが、かれらも、わたしの両親の記憶を共有しています。

これは、本当にすばらしいことです。

世の中の独身各位も、ぜひ家族をつくって欲しいです。

自分の物理的な死ののちも、家族の記憶のなかで生き続けられることは、

本当に尊いことだと思います。

 

…でも、死ぬのは、やっぱり怖いので、できるだけ長く生きたいですけどね。

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。