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高校野球の思い出 ~江川投手とわたしの同級生の夏~

よしをです。

 

わたしは草野球以外に、本格的な野球の経験はありません。

しかし、父が生前、高校野球のファンだったこともあり、

毎年、春夏の高校野球は熱心にテレビ観戦していました。

 

何十年も高校野球を観戦してきて、

一番鮮烈だったのは、作新学院の江川投手です。

球種はストレートと大きなカーブだけ。

かれが投げるボールには、バットがほとんどかすりもせず、

たまにバットにボールが当たると、場内から歓声があがります。

 

しかし、作新学院は優勝には縁がありませんでした。

作新は、江川だけのワンマンチームで、打つ方は全くダメでした。

バッティングのいいチームなら、予選ではコールドゲームで勝てるが、

作新は毎試合、9回まで戦わなければならない。

予選でも、1-0とか、2-0のような試合が多かったようで、

当時のことですから、すべて先発完投です。

したがって、江川投手の肘や肩の消耗は想像以上で、

わたしの父は、いつか故障するのではないかと心配していました。

(父は、ヒール役の江川投手に同情的でした)

 

実際に、作新学院は、

選抜の対広島商業戦では、執拗なカットで球数を多く投げさせられたり、

バント攻撃をしかけられて、延長戦で、1-2で敗れました。

次の夏の大会では、雨の中で制球を乱して、押し出しでサヨナラ負けしました。

相手は銚子商業で、こちらは0-1だったと思います。

 

いろんな記録を紐解くと、ストレートは160キロを超えていただろうとか、

球がホップした、というような伝説が語られています。

小学生のわたしの第一印象は、

江川投手が、「体がすごく大きかった」ことでしたが、

かれが投げるボールは、なぜか

「投球フォーム同様に、大きく、ゆっくりだった」

という鮮烈な記憶が残っています。

「ボールが大きく、ゆっくり」というのは、わたしだけの感覚らしく、

同世代の人や大人に聞くと、皆一様に、

「とてつもなく速かった」といいます。

 

江川以後の投手、たとえば松坂や田中将大投手には、

わたしは、このような異質なもの(一種の違和感)は感じませんでした。

記録でいえば、松坂・田中投手のほうが、素晴らしいですし、

スピードガンの記録でいえば、大谷投手が最高峰ですが、

わたしは、江川投手を超える選手は出てこないと確信しています。

 

さて、もうひとつの思い出は、わたしの高校時代の同級生(野球部)の話です。

わたしの高校は、甲子園出場の経験もなく、

夏の予選では、毎年1回勝つかどうかという戦績です。

同級生は、控え投手でした。

高校三年の夏、県大会の1回戦で、劣勢のリリーフとして登場しました。

かれのピッチングフォームをはじめて見て、わたしは驚きました。

「江川そっくりだ」

ゆっくりとワインドアップして、

左足を上げ、膝から先をピョンと弾くように蹴る。

あの独特のフォームです。

 

何球が投げるうちに、相手チームからもヤジの声があがります。

「江川のマネかよ!」

「ニセ江川!」

 

やがて、ヤジは嘲笑にかわりました。

かれは、めった打ちに打ち込まれ、試合はコールド負けとなりました。

マウンド上で立ち尽くして泣いている姿を見て、

わたしも胸が熱くなりました。

 

次の年の春、同級生は、東大文三に合格しました。

夏までは、目立った成績の生徒ではなかったのですが、

あのときの屈辱をバネにして、受験勉強を頑張ったのでしょう。

 

ちなみに、かれは大学では野球を続けなかったそうです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。