さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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吉本新喜劇の面白さ

 

よしをです。

 

転勤で大阪にいた頃に、

二度、なんばグランド花月に、観劇にいきました。

会場は、いつも満員で、席をとるのも難しい状態ですが、

運よくチケットをとることができました。

客席は、多くが、地方からの団体客です。

 

なんばグランド花月は、1年365日、無休で公演していること、

劇場の運営から、ステージの構成まで、すてを自前でおこなっていること、

出演者は、すべて吉本興業に所属している、自前の芸人であることが、

ほかにはない特徴です。

なんば花月の構成は、前半は漫才やコント、後半が、吉本新喜劇です。

 

今回のテーマは、なんば花月のメインの出し物である、新喜劇です。

新喜劇の舞台は、大阪の下町の食堂や、旅館など、庶民の生活の場です。

ストーリーは、いわゆる人間喜劇で、

最終的には、必ずハッピーエンドになるという、コテコテの予定調和であり、

その合間合間に、ギャグが、これも予定調和的に入ってくる、

という構成になっています。

 

どのタイミングで、どの演者のギャグが入ってくるのか、

ほとんどの観客はわかっていて、

「そろそろ、アレが来るぞ」、

と、身構えて、

「そら、やっぱり来た」、

と、なるわけです。

吉本新喜劇を観劇する際は、その繰り返しを楽しむ、

つまり、マンネリを楽しむという感性が必要なのです。

 

笑いのタイミングのひとつに、演者全員がズッコケる、というのがあります。

ズッコケは、観客の笑いの合図なのですが、

新喜劇を理解していないと、その意味がわからず、

ただただ、ストーリーの流れとは異なる、異物感を覚えることになります。

テレビなどで、普段から、新喜劇に触れていない観客は、

一体なにが面白いのかわからない、という状態になります。

 

実際、わたしが観劇したときにも、

隣席は、言葉のイントネーションから、

おそらく東北地方の団体客だったと思いますが、

その皆さんは、笑いのタイミングがわからず、

戸惑っているように感じました。

おそらく地元では、テレビ放送がないのでしょう。

 

実際に、テレビで新喜劇を観たことがないという、

複数の人に尋ねたところ、

面白さが理解できない、という意見がよく聞かれました。

 

新喜劇に関しては、よく、「大阪の笑い」という表現がされますが、

そうではなく、「マンネリの笑い」、もしくは「安心の笑い」、と表現すべきです。

その笑いの背景には、

勧善懲悪や、いい意味での予定調和を好む、

日本人の感性そのものが、凝縮されているように感じます。

わたしは、いつまでも、このマンネリズムが生きる、

日本であってほしいと思います。

 

「今日は、これぐらいにしといたるわ」(BY 池乃めだか

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。