扁壺(へんこ)
よしをです。
骨董の話です。
扁壺(へんこ)というのは、扁平な形をした壺のことで、
中国、朝鮮、日本に、それぞれ、おもしろい形のものがあります。
日本の扁壺では、
須恵器に、瓶(へい)とよばれる器体があります。
用途は、おそらく、水を入れたものだと思います。
中東のランプのような形をしていて、
胴体は、少しひしゃげた卵型になっています。
器体がもろいので、完品はほとんどありませんが、
欠けた口に花を生けるなどすると、趣のある花瓶になり、
大変人気のある骨董です。
中国や朝鮮の扁壺は、もっとゴージャスなものが多いです。
ほぼ、あらゆる時代に作られ、
初期の時代には、おもに、水や酒などの液体を入れる実用品として、
時代が下がると、観賞用として、作られてきました。
日本や中国、朝鮮のほかには、
琉球に、大陸の影響を受けた、扁壺の焼き物を見ることができます。
わたしの扁壺のコレクションを2つ、ご紹介します。
1つ目は、口径10センチ未満の小さな、素焼きの瓶です。
灯火器として使われたものと、想像しています。
口が少し欠けていましたが、そのほかは、ほぼ完品の状態です。
購入した骨董店主の説明では、
掘り出されたものだということでした。
入手したときには、器体の中に、田んぼの泥が残っていました。
骨董店の店主からは、
「できれば、そのまま泥は洗わないでほしい」、
といわれていましたが、
鑑賞するのに邪魔なので、持ち帰って、洗ってしまいました。
経年とともに、表面が劣化し、ざらざらした感触です。
器体は、想像よりも、かなり重く、
匂いをかぐと、微かに土の臭いがして、気持ちが落ち着きます。
これを、自分の机に置いて、撫でまわしたり、
ときどき文鎮がわりに使ったりしています。
もう1つは、李朝の扁壺で、俵壺(たわらつぼ)と呼ばれるものです。
器体は、ボンレスハムのような形をしていて、
足のついたものや、足のないもの、口の位置もさまざまです。
わたしの自慢のコレクションは、
直径10センチほど、胴の口径が4センチほどの、小さな俵壺です。
俵壺というと、もっと巨大なものがほとんどです。
本来の用途は水筒で、縄でしばって、腰から下げて使っていました。
それでは、なぜ、こんな小さな器体があるのでしょうか。
骨董店主は、「これは祭器かもしれない」、といいます。
朝鮮では、普段使っている家財道具をミニチュアにして、
飾る習慣が、あったようなのです。
たしかに、ミニチュアの牛馬や、子どもの像(いずれも焼き物)や、
用途不明の小壺を、見かけることがあります。
陶磁器ではありませんが、
古い朝鮮の絵には、文房具を描いたものもあります。
もし、わたしの小さな俵壺が祭器の一種なら、納得がいきます。
店主に教わった方法で、俵壺の「座布団」を、自作しました。
麻の縄を編んで、丸い座布団の形にするんですが、
まあまあの出来に仕上がると、さらに愛着がわいてきます。
李朝初期の、
やわらかい白磁の美しさに、思わず見入ってしまいます。
かつての、祭器と同じ価値観で、
わたしの眼前に存在している、という意味なのかもしれない…。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。