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金継ぎについて

 

よしをです。

 

わたしの保有する古い陶磁器には、

キズを補修したものや、

土や水分の影響を受けて、「カセ」た状態の器物が多くあります。

あるいは、経年の細かなキズ(スレ)や、

実際に人が使用していた、使用痕のある陶磁器もあります。

 

むしろ、完全な状態であるほうが圧倒的に少ないのですが、

それらは、何百年も、この世界に残ってきたことの証拠です。

わたしは、

キズを含めてのモノの存在意義を、骨董蒐集に感じています。

 

破損した陶磁器を補修する方法に、「金継ぎ」という手法があります。

漆は、古くから補修材や接着剤として使われてきましたが、

金継ぎは、漆の特性を生かした技法で、

割れたり、欠けたりした陶磁器を、漆を使って接着し、

継ぎ目に金粉をまいて飾ります。

破損部分が広い場合は、

青海波などの模様をつけることもあります。

 

これは日本独自の補修方法で、

茶の湯とともに、室町時代に始まったといわれています。

 

外国であれば、割れた器は、すぐに捨てられてしまうでしょう。

繕いの跡も含めて、器物の「景色」として愛でるという美意識は、

他国にはない日本文化の真髄でもあります。

 

中国や朝鮮半島では、

日本人のような、器物に対する愛着はほとんどみられず、

王侯貴族にあっては、食器は、ほとんど使い捨てだったといいます。

一度、食事で使われた食器は、

打ち捨てられることが多かったそうで、

それだけ、完全な形で残存する陶磁器の数は少なくなっています。

景徳鎮など、膨大な数の陶磁器をつくった中国では、

それでもまだ、現存する陶磁器は多くありますが、

朝鮮では、現存している高麗青磁の逸品は、ほとんどが副葬品であり、

そのほかは、庶民用の雑器が残っている程度、という状況です。

 

昨今は、非常に巧妙なキズかくしの技術がすすみ、

必ずしも善意からではなく、

骨董の価値をあげるための、悪意による補修も多くみられます。

わたしも実際に、

キズを見事に消してしまった陶磁器に、出会いました。

 

以前、李朝の三島暦の徳利を入手しました。

高さは12センチほどで、15~16世紀ごろの作品です。

翡翠色の器体に、白土の暦模様の象嵌が施されています。

古陶磁を求める際には、

正贋の判断や、キズの有無を詳細に確認するのですが、

目立ったキズはなく、ほぼ完璧なコンディションだったので、

すぐに、その場で入手しました。

 

後日、別の馴染みの骨董店に、この品を見てもらったところ、

店主は、「少し違和感がある」といいます。

そこで、ブラックライトで照らしてみると、あらまあビックリ!

瓶の首の部分が、完全に飛んでいて、接着剤でつないであったのです。

しかも、パーツが一部欠損している部分は、

別の器体の破片で補修(呼継ぎ)されています。

 

あらためて、普通の電灯の下で見ても、補修の跡は、全くわかりません。

店主も、肉眼では、発見できないといい、

ポイントは、店主が感じた、「違和感」ということになります。

 

その点を、店主に尋ねると、

「この器は、嘘をついていると感じました」と、いうのです。

「つまり、美しいと感じなかったのです」と、店主が続けます。

 

器物を無数に見てきたことの経験値ではなく、

(正贋=美醜)であるという、店主の独特の感覚が、

キズかくしのフェイクを見破ったということで、

骨董の世界の面白さや、奥深さについて、

あらためて感心させられた思い出でした。

 

日本人は、金継ぎされた器物を、美しいと感じることができます。

 

金継ぎのもうひとつの特徴は、キズを隠さないということです。

それは、嘘をつかないということであり、

正直であることを美しいといえる、日本人の誇るべき感性だと思います。

 

件の三島徳利は、

一旦首を外して、漆と金繕いで、あらためて補修し直しました。

呼継ぎの部分は、漆で埋めなおし、青海波の模様で飾りました。

 

この補修によって、三島徳利の価値が上がったように感じます。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。