江戸は循環型都市
よしをです。
過剰な消費時代の反動で、
江戸時代の循環型社会を見直す試みが、広がりつつあります。
社会全体に、リサイクル意識が高まり、
産業化しつつあります。
江戸時代は、リサイクルを意識的に目指していたわけではありません。
鎖国政策がとられていたこともあって、
絶対的に、資源が不足していたために、
あらゆるものが再資源化され、再利用されていました。
江戸時代には、さまざまな分野の、リサイクル業者が存在していました。
たとえば、鋳掛け(金属製品の修理)、たがや(樽や桶の補修)、
提灯の張り替え、刃物研ぎ、下駄の歯入れなどの修理業者や、
屑屋(紙や布などの回収)、灰買い、肥汲みなどの回収業者が巡回し、
日用品を修理し、資源を回収して、再利用していました。
社会が循環していると、経済成長はほとんど生まれません。
当時の、職人の賃金などから試算すると、
江戸時代の経済成長率は、年間0.3%程度であったと推定されます。
国内総人口についても、
江戸時代を通じて、約3000万人と、ほとんど変わっていません。
ちなみに、1800年当時、
江戸の人口は、約100万人(幕末まで、ほとんど変化なし)で、
世界最大の都市でした(ロンドン90万人、パリ70万人程度)。
同時代のロンドンやパリが、非常に衛生状態が悪化し、
悪臭が漂う劣悪な環境だったことに比べて、
世界最大の都市である江戸の環境が、
整然としていたことについては、驚嘆に値します。
明治時代になって、1877年から1889年まで、
日本に滞在したイギリス人女性、イザベラ・バードは、
いくつかの著作において、日本各地の町や自然の美しさを伝えています。
イザベラは、日本に続いて、インド、ペルシャ、チベットなどを旅行し、
1894~97年には朝鮮にも訪れましたが、
当時のソウルの町は、社会インフラが整わず、町中が汚物まみれでした。
イザベラは、「この世で一番不潔な町だ」という感想を残しています。
イザベラのレポートからは、時代が明治に入っても、
日本には、江戸の風情が若干、残っていたことがうかがえます。
江戸とソウル、あるいはロンドンやパリとの決定的な違いは、
江戸が、循環型の都市であったことです。
日本はその後、急速に消費社会に転換し、
高度成長期まで、国土を徹底的に痛めつけ、汚し続けてきました。
21世紀になって、ようやくゴミ削減や、リサイクルの広がりなど、
遅まきながら、循環社会への回帰がはじまったことについては、
大変喜ばしいと感じます。
ついでに、わが家の前で、毎朝必ずタバコをポイ捨てする人にも、
意識を変えてほしいと思います…。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。