さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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よしをです。

 

わたしの古陶磁のコレクションのなかに、おそらく古墳時代と思われる、

素焼き(釉薬がかかっていない)の、小さな油壷があります。

当時は、この油壷から、燈明皿に油を少しづつ移して、

室内灯として使っていたのでしょう。

古墳時代には、もちろん、電灯などありません。

当時の日本人が、油を灯した、わずかな光の元で、生活していたことを考えると、

あらためて、古代の油が、どれほど貴重なものであったか、

さまざま思いを巡らすことができます。

 

先日、危険物取扱者乙4種を取得したのですが、その扱い品目が、

引火性液体(ガソリン、重油などの石油製品や動植物性油)だったこともあり、

古代の油事情がどうだったのか、ふと、興味をもちました。

 

現存している、いくつかの資料によれば、

平安時代に、貴族の邸宅では、

灯台という燭台が、一般的に使用されていました。

燭台のうえに、油を入れた燈明皿を乗せ、布などを芯にして、灯して使いました。

また、夜間の外出時には、松の木を割って、炭火であぶって焦がした、

脂燭(しそく)といわれる松明が使われていました。

 

しかし、日常的に燭台を使っていたのは、一部の富裕層だけです。

庶民は長らく、日の出とともに起床し、日没に就寝する生活でした。

油は非常に貴重なものですから、

一般庶民の家庭では、燈明は、特別なときにしか使えませんでした。

 

わたしのコレクションは、庶民が使っていた雑器ですが、

4~5世紀の生活雑貨が、1400年以上も後の、21世紀の現代に、

ほぼ完全な形で現存していることからも、

この品が、どれほど大切に使われていたかという証明になると思います。

 

さて、危険物取扱者よしをが注目する、燈明油の油類品目ですが、

野獣や魚など、動物性の脂のほかに、

ごま油や、荏胡麻(えごま)の油、椿や麻の実などの植物油が、

江戸時代まで、継続的に広く使われていたことがわかりました。

 

話題はかわって、室内灯といえば、蝋燭(ろうそく)を想起します。

蝋燭は、世界各地で、それぞれ独自に進化するという、

不思議な発達の歴史をもっています。

人類の歴史で、最も古いとされる蝋燭は、

紀元前1500年頃の古代エジプトで、使われていたものです。

東洋では、戦国時代(紀元前400~200年頃)の中国において、

蝋燭を灯したと推測される、青銅製の燭台がみつかっていますが、

その後の、前漢(紀元前200年頃~1世紀)には、

蝋燭が、蜜蝋(みつろう)からつくられるという記述がみられることから、

この時代の中国には、確実に蝋燭が存在したと推定されています。

 

日本には、710年頃、中国(唐)から、仏教とともに、蝋燭が伝来しました。

1000年頃には、遣唐使の中止とともに、蝋燭の輸入がストップし、

蜜蝋のかわりに、松脂をつかった、国産蝋燭の生産がはじまりました。

(松脂の燈明は、目に沁みたことでしょう…)。

 

江戸時代になって、劇的な変化が訪れます。

17世紀初旬に、琉球から、ハゼの木が伝来し、

ハゼの実をつかった蝋(木蝋)が、国内の蝋燭の主流になったのです。

そのほかにも、カイガラムシの排泄物からつくられる白蝋が普及し、

蝋燭のバリエーションが増えていきました。

 

しかし、江戸後期まで、蝋燭は相変わらず、庶民の高根の花でした。

その頃の庶民の、日常の照明としては、

魚油や菜種油を燃料とする、行灯(あんどん)が使われていました。

 

明かりと人間の暮らしの関係は、時間の概念の変化と関連しています。

考えてみれば、現代は人工的な明かりによって、

古代と比べて、一日の時間が格段に長くなっているわけです。

したがって、現代の普段の生活を振り返ってみると、

もう少し、大切に時間を使ったほうがいいのではないかなどと、

自分を戒めるきっかけにもなった次第です。

 

今回は、コレクションをきっかけに、燈明油から蝋燭へ、

最終的には、人類の時間の概念の変化へと、

話題が完全に脱線してしまいました。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。