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六代目三遊亭円生

 

よしをです。

 

昭和の落語界において、

八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生の3人を、

名人として挙げることについては、異論はないでしょう。

 

わたしは、3人のうち、六代目円生が好きです。

まず、その声の美しさが魅力に挙げられます。

円生は、もともと義太夫語りであり、唄のうまさには定評がありました。

文楽のダミ声や、とくに晩年の志ん生の活舌の悪さと比較しても、

円生の声は、はるかに美しく、聴きやすく、

女性を演じることにも、秀でていました。

もっとも、女性に関しては、

「年増しか表現できない」といった厳しい評価もあります。

また、大阪生まれの円生の語り口は、

上方噺で、関西弁を自由に操ることができる反面、

江戸落語においては、正しい江戸弁のイントネーションではない、

という批判もあります。

ついでに、私見ですが、語尾を「飲む」癖や、息継ぎ(とくに晩年)、

左右に大きく振る所作は、円生の欠点だと考えます。

つまり、割合、欠点も多いのです。

 

2つ目の魅力は、そのネタの多さです。

円生のネタ数は、300を越えるといいます。

これは、かれの抜群の記憶力のなせる業で、

子どもの頃から、師匠と兄弟子の稽古をうしろで聴いていると、

すぐに、噺を覚えてしまったと、本人も語っています。

文楽は、すべてが十八番だと語っていますが、

持ちネタは20程度と極端に少なく、

志ん生も、ネタの数は多いほうですが、それでも、100未満でしょう。

 

3つ目は、情景描写の巧みさです。

円生の落語の特徴は、その写実的な表現方法です。

文楽志ん生が、おもに会話のやりとりや人間模様の面白さに、

重点を置いているのと比べ、

円生落語は、情景描写に注力し、講談に近い表現方法をとっています。

詳細な語り口で、江戸の風情を見事に表現し、

一幕の演劇を想像させるような、格調ある作品に仕上げています。

 

若い頃には、あまり評価されず、下積みが長かった円生ですが、

戦時中に、五代目志ん生らとともに、満州へ慰安に赴き、

生きるか死ぬかという極限に立たされたことで、

芸に凄みが生まれたといいます。

その後、円生は、万人が認める、昭和の大名人となりました。

 

晩年は、落語協会の分裂によって、

一門含めて、協会を脱退するという事態になりました。

協会脱退を機に、寄席での活動ができなくなり、

円生一門は、全国のホールや独演会に、活躍の場を求めました。

その後、円生は、千葉でおこなわれた、一門後援会の発足パーティで、

一席演じた後、心臓発作で倒れ、そのまま亡くなりました。

最期まで、芸に生きた人生でした。

 

立川談志は、円生を評して、「失敗の少ない噺家」という表現をしています。

つまり、いつ聴いても、円生の落語は、高いレベルにあるという意味で、

志ん生の高座に、出来不出来のバラつきが多かったことと比べると、

いかにも談志流の、面白い表現だと思いますし、

辛口で知られる談志にしては、素直な評価だと感じます。

もっとも、円生の人間性については、談志はボロクソにいっています。

談志の、偏狭でナイーブな性格が災いし、

自らが名人だと認める円生から冷遇されていたことが、

繊細な談志にとって、よほど心の傷になっていたのでしょう。

 

円生が、自ら厳選した100のネタを、スタジオであらたに録音し、

「円生百席」として、高音質の音源を後世に残したことは、

かれの大きな功績です。

ちなみに、わたしは、CD全巻揃えています。

 

数ある円生の落語のなかで、わたしがとくに好きなのは、

「包丁」、「らくだ」、「文七元結」、「居残り佐平治」、「札所の霊験」の5席です。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。