さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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他人の痛みを知ること

 

よしをです。

 

幼児には、自分の思い通りにならないことに腹を立てるなどの、

幼児期特有の行為がみられます。

子どもは、世の中は、自分を中心に回っていると考えています。

 

子どもは、やがて長じるにつれて、社会との調和や、

他人への思いやりなどの、社会倫理を学んでいくのですが、

世の中には、己の権利を主張するばかりで、

周りや相手に気を使うといった、常識が欠落したまま、

成人している人が、残念ながら一定数います。

 

人間には、誰しも苦しい時期があります。

自分や家族の病気や事故、反抗期の体験、受験の失敗や恋愛の痛手、

学校や仕事における人間関係の悩みなど、

数々の辛い経験を積むことで、人間は成長していきます。

そして、幼児期とは違って、

世界は、自分の思い通りにならないことを知るのです。

人間関係においても、自分の経験と照らし合わせて、

他人の人生にも、やはり苦しい経験があったものと思いを巡らし、

相手に対する理解や共感、許しができるようになります。

要するに、人間の成長とは、謙虚になることだと思うのです。

 

以前、このブログでも取り上げた、東京新聞の女性記者や、

沖縄の反政府活動家の、謙虚さを欠いた発言や振る舞いをみると、

まさに、これこそが、前述の「一定数の人」だといわざるを得ません。

 

これらの人たちに共通しているのは、

かれらが、ある程度の、恵まれた環境で育った人だということです。

家庭の収入と学歴には、因果関係があることが知られていますが、

この人たちは、親からは、自分がオンリーワンだという暗示を受け、

社会との協調ではなく、他人との競争に勝つことが、

人生における最優先の目的であると、教えられました。

そして、実際に、受験社会において、

かれらは、成功者であることが多いのです。

 

そこで、あらためて、家庭内教育の重要性を思い知らされます。

自分の子どもに、特別な存在であるという間違った考えを埋め込み、

できるだけ、子どもに辛い経験や、痛みの経験をさせたくないという、

間違った親心で、子どもの精神的成長を阻害することによって、

他人の痛みを知ることなく、謙虚さを欠落した成人を、

生み出してしまう結果になるのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。