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「かんかんのう」とらくだ

よしをです。

 

 

「かんかんのう」は、江戸時代、町人の間で広く謡われていた俗謡で、

もともとは、長崎の芸人が、大阪で披露した、

唐人踊(とうじんおどり)という舞踊に、ルーツをもつそうです。

芸人が唐人風の扮装をして、

太鼓や蛇皮線の伴奏にあわせて、謳って踊るという出し物で、

大阪から名古屋、江戸へと、流行が広がりました。

 

流行が過熱し、幕府からは禁令がでるほどでしたが、

その後、唐人踊は、看々踊(かんかんおどり)と名を変え、

その歌である、「かんかんのう」は、明治まで、長らく歌い継がれました。

 

歌詞は、以下のようなものです。

 

かんかんのう きうれんす きゅうはきゅうれんす しゃんしょならえ 

さいほう にいさんさんいん ぴんたい やめあんろ…。

 

何やら呪文のようですが、

それもそのはず、歌詞のルーツは中国語なのです。

「かんかんのう」は、「看看奴」、つまり、「奴(女の一人称)を見て」、

「きうれんす」は、「九連子」、つまり、「中国のパズル玩具」などで、

江戸の庶民は、その言葉の意味は理解せずとも、

語呂の響きを楽しんで、謳っていたようです。

 

なぜ、唐突に、江戸時代の流行歌の話をするのかといえば、

落語の「らくだ」という演目を、ふと思い出したからです。

 

主人公は、「らくだ」と呼ばれるヤクザ者です。

かれは、町内の嫌われ者でしたが、

ある晩、フグにあたって、死んでしまいます。

翌朝、それを見つけた兄貴分が、町内から葬式代をせびるために、

たまたま通りかかった屑屋をつまかえて、交渉にいかせるのですが、

そのときのセリフが、

「(金を出さないと)死人にかんかんのうを踊らせる」、というものでした。

 

らくだは、元々上方の噺ですが、江戸にも伝わりました。

六代目三遊亭円生のらくだは、絶品だと思いますが、

滔々と謳いあげる円生の「かんかんのう」を聴いて、

江戸時代には、こんな面白い歌が流行っていたのか、

と感心したものです。

 

円生の「らくだ」のマクラには、

「文化の3年に、日本に初めてらくだというものが、見世物としてやってきました」

とあります。

気になって、調べてみたところ、

らくだが初めて日本に来たのは、599年(推古3年)のことで、

らくだとともに、驢馬、羊、白雉が、百済から献上された、

という記録が残っています。

また、江戸時代の、らくだの来歴について、

6代目円生の記憶では、文化3年とのことですが、

正確には、文化4年が合っているようです。

 

円生師、いろいろ間違っています…。

 

なお、江戸時代に持ち込まれたらくだは、

雄雌2頭の、ヒトコブラクダだったそうですが、

見世物として全国を巡回するうち、日本の風土にあわず、

やがて、2頭とも、死んでしまったそうです。

 

オチのない話になってしまいましたが、今日はここまで。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。