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幽霊画が描かれた時代

よしをです。

 

三遊亭圓朝は1839年生まれ。

1900年に没するまで、幕末から明治を生きた、

落語の中興の祖といわれる落語家です。

いわゆる人情噺や怪談など、講談に近い演目が得意で、

数多くの新作落語を創作したことで知られています。

 

舞台で、観客から出された三つのお題(大晦日、芝の浜、皮財布)をもとに、

即興で創作したといわれる「芝浜」をはじめ、

怪談の創作作品としては、「死神」、「牡丹燈篭」、怪談乳房榎」、

「札所の霊験」、そして、おそらく、最高傑作である、「真景累ヶ淵」などが、

知られています。

 

また、怪談の参考にしたのであろう、幽霊画のコレクターでもあり、

遺されたコレクションは、余生庵蔵として、

圓朝まつりで、毎年公開されています。

 

幽霊画の作者としては、丸山応挙や、幕末から明治にかけて活躍した、

河鍋暁斎や、月岡芳年などが知られています。

葛飾北斎も、ユニークな幽霊画を描いていますし、

そのほかにも、かなりの数の作品が、現在まで残されています。

 

なぜ、多くの幽霊画が描かれたのでしょうか。

定説があるわけではありませんが、

画のモチーフが、ほぼ女性であることから、

わたしは、不幸な運命に翻弄されて亡くなった女性への、

鎮魂の意味が込められているように思うのです。

幽霊の怪異な姿のなかにも、よくよく見ると、

生前の美しさが伝わってくるような作品が多いようにも思います。

 

渓斎英泉(けいさい えいせん)という作家の作品のなかに、

幽霊が、美女の生首をぶら下げているという、

実に凄惨な画があります。

嫉妬深さゆえに、夫に殺され、

その後、幽霊となって、後妻を5人殺害したといわれる、

「累(かさね)」という、幽霊が、モデルになっている作品です。

これは、現在の茨城県を舞台にした、

実在の事件が元になっているそうで、

先に触れた、圓朝の「真景累ヶ淵」の題材になり、

歌舞伎や文楽では、

「薫樹累物語(めいぼくかさねものがたり)」や、「色彩間苅豆」などの、

いわゆる、「累物(かさねもの)」のモチーフにもなっています。

 

幽霊画は、単なるキワモノではありません。

凄惨な事件を扱うことには、

弱者への鎮魂の意味が込められていると思いを巡らせれば、

これらの作品が、現在まで残されていることについて、

日本文化の伝統として、マジメに受け取るべきだと考えます。

 

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。