意外と自由な江戸の町
よしをです。
江戸時代というと、厳格な身分制度があり、
職業の自由や、働き方について、社会の束縛が、
現在とは比較にならないぐらい、強かったような印象がありますが、
実は、江戸の町人の世界では、
意外なことに、職業選択の自由なども認められていたようです。
一般的な江戸の町人の出自は、奉公人といって、
江戸近郊などの農家の、長男以外の男子が、10~12歳ぐらいになると、
商家などに奉公にだされたものでした。
つまり、士農工商の身分制度は、実際には柔軟に運用されていて、
農業から、工業や商業に転籍することができたのです。
奉公人を雇う商家というのは、奉公人を一人前になるまで、
日々の生活の面倒をみながら、無給で、店で修業をさせる、
つまり、現在でいえば、寄宿制の専修学校のようなものでした。
成人して、給料をもらって店でそのまま働く道や、
能力が認められれば、番頭や支配人になる道があり、
よその商家に婿入りするルートや、
資金をもらって独立する(暖簾分け)などの道もありました。
奉公の道は、なかなか厳しく、ドロップアウトする者もあらわれました。
その場合、個人営業(小商い)に転じる者も多く、
江戸では、さまざまな職業が生まれました。
おもに、かれらは行商なのですが、食料品をはじめ、日用品など、
あらゆるものを売って歩きました。
なにせ、当時の江戸は、人口100万人の一大消費都市です。
行商することで、人間一人が食べていけるだけの包容力があります。
そうしてまじめに働くことで、店を構えることも可能な時代でした。
たとえば、落語の世界でも、
芝浜、鼠穴、小間物屋政談など、
必死で働いて、店を出した主人公がクローズアップされています。
江戸庶民にとっては、そのような成功談がうらやましく、
かれらが目指す目標だったのだといえるでしょう。
それに比べて、現代の起業事情はどうでしょうか。
いろいろと考えさせられます。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。