さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

ナックルボーラー

よしをです。

 

野球の投手が投げる特殊な変化球に、ナックルボールというのがあります。

ナックルボールは、投手の手元からキャッチャーミットに到達するまで、

ほとんど無回転で、ボールの縫い目にかかる空気抵抗によって、

投げた本人すら予測できない変化を生む、まさに魔球です。

 

このナックルボールを投げる投手を、ナックルボーラーといいます。

ナックルボールには、魔球ゆえの弱点がいくつかあります。

その変化は、本人も予測できないわけですから、調子の波が非常に大きいのです。

コントロールが悪く、ストライクが入らなければ、どうしようもありません。

また、ボールはキャッチャーが捕球することも難しく、

捕逸や盗塁の危険性も高いといえるでしょう。

 

過去のMLB投手では、300勝投手のフィル・ニークロブレーブスなど)、

221勝をあげた、フィルの弟のジョー・ニークロ(アストロズなど)、

216勝のハフ(ドジャーズ)や、151勝のキャンディオッティ(インディアンズ)、

200勝投手のウェイクフィールドレッドソックス)が有名です。

 

MLBには、現役にも、ナックルボーラーがいます。

R.Aディッキー(ブルージェイズ)、ティーブン・ライト(レッドソックス)の2名が、

主力投手として活躍しています。

 

ナックルボールの歴史は古く、

1910年代に活躍した、エディ・シーコットの発明だといわれています。

手の甲を上に、親指と子指を真横から挟むようにして握り、

残りの3本指、もしくは人先指と中指の2本をボールに突き立てるようにします。

ボールをリリースする際には、手首を固定し、突き立てた指でボールをはじき、

回転を殺して投げるというのが一般的な投げ方です。

下半身はあまり動かさず、大きく振りかぶらずに投げます。

ナックルは全力で腕を振るフォームではないので、

肩やひじへの負担が少なく、

選手寿命も長くなることが多いといわれます。

実際に、ニークロ兄弟やハフは、50歳近くまで現役で活躍しました。

 

日本には、緩急をつけるための見せ球として、

ときに、ナックルボールを見せる投手はいましたが、

本格的なナックルボーラーは皆無です。

ナックルを習得する環境がないことや、

少年野球の育成方針に反することなどから、

日本のナックルボーラーの誕生は、

これからも、かなり難しいだろうとは思います。

 

フィル・ニークロは、父親からナックルボールを教わりました。

父はセミプロの投手でしたが、肩を痛めたため、

ナックルボーラーに転向した、という経歴の持ち主です。

フィルは、10歳ぐらいから、父親とのキャッチボールでは、

ナックルの投げ合いになったそうです。

 

フィルは、高校時代は、まったく打たれることなく、

3年間で敗戦投手になったのは、1試合だけだったといいます。

プロ入り後も、ナックル1本で300勝をあげ、

遅れてプロ入りした、弟のジョーが不振にあえいで引退を躊躇すると、

かれにナックルを伝授しました。

ジョーは、見事にカムバックし、プロ通算221勝をあげました。

 

フィル自身が語っているところによれば、

リトルリーグのコーチなら、確実に止めていただろうが、

自分が幸運だったのは、かれが野球を教わったのは父親であり、

周囲にナックルを投げるなと注意する人がいなかったことだといいます。

 

日本のアマチュア野球でも、事情は同じで、

指導者は、子どもにナックルボールなど投げさせません。

しかし、フィルのように、幼少期からナックルだけを極め続ければ、

完全に習得する投手もあらわれる可能性が、ないともいえません。

 

現代野球は、用具が劇的に進化していて、

ピッチングマシーンを球速170キロに設定するなど、

どんな速球にも対応できます。

しかし、ナックルボールを打つ練習はできません。

たとえば、公立高校の弱小チームに、

本格的なナックルボーラーがいたとしたら、

おそらく、甲子園優勝チームでも、打ち込めないに違いありません。

 

各地で、高校野球の夏の予選が始まっています。

どこか、そういう面白いことを考えるチームが出てきてもいいと思うのです。

たとえば、戦前に優勝経験がある、地方の進学校あたりが。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。