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ホイアンからの贈り物

よしをです。

 

ベトナム中部の港町・ホイアンは、

16世紀に、世界的な貿易港として栄えました。

当時のベトナムは、チャンパ王国から、フエ王朝に支配権が移行した頃で、

ホイアンはフエ王朝の最大の交易港となり、日本や中国をはじめ、

遠くはヨーロッパ諸国とも、交易が盛んにおこなわれました。

 

ベトナムには、14世紀から日本人が移住しています。

貿易商や、キリシタン禁令によって逃れてきた人たちが、

日本人町をつくりました。

関ケ原の戦い大坂の陣で主君を失った浪人が多く流入し、

ビルマからの軍事的圧力に悩んでいたアユタヤ王朝が、

かれらを、傭兵として雇い入れることもありました。

 

いくつかある、日本人町のうち、最大規模のものは、

14世紀から18世紀まで栄えた、アユタヤの日本人町ですが、

ホイアンにも、16世紀に、日本人町が形成されました。

ホイアン日本人町には、1000人以上の日本人が住んでいて、

町のシンボルである「日本橋」がつくられたのも、16世紀のことです。

 

17世紀になると、早くも、ホイアンの繁栄に、陰りが見えてきました。

日本では、江戸幕府による鎖国政策がはじまり、

オランダ商館が閉鎖したことや、中国の質の高い陶磁器に、

ベトナムの技術が追いつくことが出来ずに、衰退していったようです。

 

台風被害があるのは、昔も今も同じことで、

ホイアン沖には、台風や荒波で沈没した貿易船が多く眠っています。

20世紀になって、沈没船が、次々と発見され、

その船底から、多くの陶磁器が引き上げられました。

 

ベトナムの陶磁器には、染付(安南染付)と青磁(安南青磁)があります。

サザビーズのオークションにかけられるような極上品から、生活雑器まで、

膨大な数の焼き物が、沈没船から引き上げられています。

中には、コレクターにとって、比較的、入手しやすい品もあります。

わたしの手元にも、おそらく中国向けの、小さな化粧壺が数点と、

安南青磁の小杯が1点、染付の皿が数点あります。

化粧壺のほうは、

かわいらしい鳥が描かれたものと、草が描かれたものの2点で、

窓際にさりげなく飾ってあります。

 

ホイアンの旧市街にある歴史保護地区は、

町全体が世界遺産に指定されています。

そのなかに、貿易陶磁博物館があります。

博物館の建物は、ベトナム、中国、日本の建築様式が、

ミックスされた造りになっていて、

写真で見ても、どこか懐かしい気持ちになります。

機会があれば、一度訪れてみたいと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。