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さまよえる北京原人

よしをです。 

 

中華民国政府が、スウェーデンから招請した、

地質学者のユアン・アンダーソン博士らは、

1921年に、北京郊外の周口店で、

人類のものと思われる、歯の化石を発見しました。

 

1927年から、ロックフェラー財団の援助のもと、

カナダの解剖学者デビッド・ブラック教授が、

本格的な発掘調査を開始しました。

1929年には、中国の考古学者、斐文中が、完全な頭蓋骨の化石を発見し、

以後、約40体分の骨格と、150本ほどの歯が発掘されました。

ブラック教授は、この原人を、シナントロプス・ペキネンシスと名付けました。

 

北京原人は、アフリカに起源をもつ、原人の一系統で、

ジャワ原人などと同じ系列であると考えられています。

北京原人は、今から、約50万年前に生息し、直立歩行をし、

共同体で生活をして、石器や火を利用していたと考えられ、

動物の骨が多数見つかっていることから、

狩猟をおこなっていたことが、うかがわれます。

推定によれば、身長は男が155センチ、

女が145センチ程度と、小柄な体型であると考えられています。

 

ブラック教授らの発掘調査は続きましたが、

1937年には、日中戦争の激化により、調査が困難になりました。

日本軍は、周口店周辺を制圧し、北京原人の化石を捜索させますが、

すでに、ロックフェラー財団は、すべての標本を秘匿していました。

 

この先、北京原人の行方は、ミステリアスな展開になります。

化石は、発送するため、大きな木箱にまとめらましたが、

アメリカに発送する途中で、行方不明になってしまったのです。

 

その行方については、諸説あります。

河北省秦皇島市内に埋められ、

その場所は、現在、繁華街の駐車場になっているという説や、

太平洋戦争末期の1945年に、台湾海峡沖で沈没した、

日本の貨物船・阿波丸に搭載されていたという説があり、

2009年には、中国のサルベージ専門家が、

阿波丸の捜索をおこなったそうです(発見には至らず)。

 

また、日本軍が、密かに持ち帰ったという説も根強くあり、

頭蓋骨は、日本の皇居の倉庫にあるという珍説も唱えられています。

 

頭蓋骨は行方不明のままですが、

幸いにも、ドイツ人学者が、詳細な記録やレプリカを残していました。

そして、1920年代に発見された化石の行方はわかっていませんが、

1966年に、あらたに頭蓋骨の破片(額から上部)が見つかっており、

以後の研究資料となっています。

 

周口店では、まだ発掘が続いていますから、

今後、あらたな化石発見のニュースが聞けるかもしれません。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。