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アッティラと上杉謙信

よしをです。

 

5世紀に活躍した、フン族の王、アッティラは、

ヨーロッパの人びとにとって、恐怖の対象でした。

当時のローマ人から、

アッティラは「歴史上、もっとも凶悪な男」と評され、

別名、「神の鞭」とも呼ばれました。

ローマでは、フン族が来るという噂を耳にしただけで、

村人が集落を捨てて逃げてしまうこともあったといいます。

 

フン族は文字をもたず、記録も残っていないため、

そのルーツについても、ほとんどわかっていないのですが、

風貌などから、モンゴロイドではないかといわれています。

フン族は、馬に乗るためにガニ股になった足や、

小柄で筋肉質の肉体をもち、

目は細く、幅が広く低い鼻、ぼさぼさの黒い長い髪に、

動物の皮でつくられた衣服をまとっていました。

また、かれらはスカリフィケーションといって、

赤ん坊のうちに、顔を傷つけて模様を刻む風習がありました。

 

また、アッティラの風貌については、背は低く、頑丈な肢体をもち、

顔は黄色く、顔は奇妙なほど平面だったという、

キリスト教の司祭の記録が残っていることから、

なるほど、モンゴル系であるように思います。

 

当時、ローマ帝国は東西に分裂していました。

アッティラは、強力な騎馬隊を盾に、

中央アジアから、東ローマ帝国への侵入を繰り返しました。

東ローマ帝国のテオドシウス2世は、和解の使者を送りますが、

そこでおこなわれていた、フン族の処刑を目の当たりにして、

使者は、衝撃を受けました。

かれらは、脱走兵を地に伏せさせ、布をかけると、

その上を、馬に乗った騎兵が、歓声を上げながら、

何度も往復したのです。

処刑が終わった後は、死体は、もうぐちゃぐちゃです。

報告を受けて、恐れをなしたテオドシウス2世は、

フン族に大量の金塊を支払って、和解しました。

 

アッティラは、ガリアへ侵攻し、カタラウヌムの戦いで、

西ローマ帝国西ゴート王国の連合軍に破れます。

その後、勢いを取り戻して、イタリアに侵攻し、

各地で略奪、殺戮を繰り返して、ローマに入りますが、

教皇レオ1世の説得によって撤退しました。

撤退した理由は、ローマからの多額の賠償金でした。

アッティラには、領土的野心はなく、ただ、黄金が欲しかったのです。

 

権力の絶頂にあったアッティラに、突然、終わりがやってきました。

かれは、自らの婚礼を祝う酒宴の席で、

突如、大量の鼻血を出して、卒倒死してしまったのです。

王を失ったフン帝国は、内紛によって、あっという間に瓦解しました。

 

アッティラが、後のヨーロッパに与えたインパクトは強烈でした。

侵攻の過程で、アラン族やゴート族の王国を亡ぼし、住民を虐殺し、

ローマへの侵攻でも、同様の残虐行為を繰り返しました。

その後、ヨーロッパを侵略した、チンギスハンと比べても、

アッティラは、残虐性の点で突出していました。

のちに、かれの名が、

小惑星の名前に採用されたり、オペラや叙事詩の題材になったりと、

ある意味、大人気になったことは皮肉な事実です。

 

日本史において、

わたしがアッティラと近いイメージをもっているのは、上杉謙信です。

謙信は、ほとんど領土的な野心をもたず、

諸国の紛争の仲裁者として、振舞いました。

 

領土的野心をもたないことは、

他国の領主にとっては、やっかいですが、

黄金を与えれば引き下がるという、アッティラの幼児性は、

義理とか正義といった、ややこしい理想像を掲げる上杉謙信よりも、

ある意味、扱いやすかったかもしれません。

もっとも、圧倒的な強さと残虐性という点では、

アッティラは、史上最凶最悪の存在です。

 

なるほど、日本人が、モンゴル出身力士に勝てないわけです。

 

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。