さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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アームストロングという男

よしをです。

 

アームストロングは、

大リーグ、セントルイス・カージナルスの黒人外野手で、

背番号は13、左投げ左打ちのスラッガーとしてならしました。

その後、来日して、中日ドラゴンズに入団すると、

センターを守り、4番打者として活躍しました。

 

かれが、カージナルスに入団した経緯は、わかっていません。

一説には、アームストロングが、まだ10代前半のころ、

貧しかったかれが、スーパーマーケットでパンを盗み、

壁を乗り越えて逃げるという、身体能力の高さを見せ、

それが、スカウトの目に止まったといわれています。

 

スカウトに自宅を探し当てられ、

球団に大金を積まれた父親が、

酒代欲しさに、契約書にサインしてしまったために、

アームストロングは、半ば強制的に連れ去られて、

カージナルスで、野球の英才教育を施されたといいます。

 

厳しいトレーニングの最終段階になって、

父親の危篤を知りますが、

球団から一時帰宅が認められず、トレーニングを続け、

その最中に、父の死を知らされました。

かれは、感情を捨て、自ら鬼神となって、野球マシーンと化し、

さらに、最新のスポーツ科学レーニングを積み重ねて、

ついに、メジャーデビューを果たしました。

 

アームストロングは、日米野球で来日して、その実力を認められ、

中日ドラゴンズからの熱烈な招聘により、入団しました。

かれの身体能力をいかした、「見えないスイング」は、

他球団の恐怖の的となりました。

 

日本での活躍は1年間でした。

アメリカに帰国後は、カージナルスに復帰し、

いきなり三冠王になるなど、大活躍しますが、

その年のオフ、三冠王のお祝いパーティ会場に、

ベトナムへの召集令状が届きました。

周りは、徴兵拒否をすすめますが、

アームストロングは、アメリカ人の義務として、

ベトナムに出征することを決めました。

 

アームストロングは、戦地でも常人離れの戦果をあげますが、

白人の戦友をかばった際に、

砲弾の破片が背中に刺さる大けがを負ってしまい、

送還されることになりました。

ベトナムから帰還する際には、日本の横田基地に立ち寄り、

かつてのライバルと再会し、喜びを分かち合いました。

 

帰国したかれは、英雄としてもてはやされますが、

背中の傷は想像以上に重く、

砲弾の破片は、脊髄にまで達していたのです。

結局、破片は取り出せないまま、

無理をして、カージナルスに復帰しますが、

傷が悪化して再起不能となり、解雇されました。

引退したかれは、生まれ育った黒人街に戻りましたが、

やがて、危篤状態になり、母親らに看取られて亡くなりました。

 

オズマ・アームストロングは、

星飛雄馬の最大のライバルにして、親友でした。

かれの死後、飛雄馬に届いた小荷物には、

大リーグボール打倒ギプスと、

「世界でただ一人の親友へ」、と書かれた手紙が添えられていました。

 

以前から、わたしは、

オズマを、モハメド・アリに重ねていたのですが、

オズマのその後の物語は、アリの徴兵拒否をモチーフにした、

反戦漫画であったことを、後に知ることになりました。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。