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明石家さんまと、とんねるずの限界

よしをです。

 

昨今は、お笑い芸人の寿命が、短くなっているようで、

最近の若手芸人は、すぐに使い捨てにされてしまいます。

そんな中、長年にわたって、

お笑い界のトップを走ってきた、明石家さんまですが、

かれにも、黄昏のときがやってきたようです。

 

さんまは、反射神経と言葉選びのセンスに秀でています。

ビートたけしは、

さんまを評して、「しゃべりの天才」としていますが、

同時に、その弱点についても、たけしは、著書の中で、

「バラエティ番組のなかで、素人でも誰でも、どんな相手だろうと、きちんと面白くする。相手が科学者や専門家の場合も、自分の得意なゾーンに引き込んでいくことはできるし、そこで笑いは取れる。でも、相手の土俵に立たないというか、アカデミックな話はほとんどできない。男と女が好いた惚れたとか、飯が旨いとかまずいとか、実生活に基づいた話は抜群にうまいけど」、

と語っています。

 

 

要するに、さんまには教養がないのです。

会話の本筋に踏み込むための教養がないので、

相手の話の内容にコメントすることができず、

話し方や、言葉尻を捕まえて、

からかったり、揶揄することしかできないということなのです。

 

ビートたけしによれば、

下世話なゾーンに相手を誘い込んで、

隙を狙って、笑いのネタを吸い上げるという、さんまの技能、

それ自体は否定しない、ということなのでしょうが、

真っ当な話をしたい相手からすれば、

「さんまは、他人の話を聞かない」、という評価になるわけです。

 

個人的に、さんまのトークで気になるのが、

目下の人間をつかまえて、男女の例外なく、「お前」と呼ぶことと、

二言目には、「嘘や!」を連発することです。

「嘘や!」の先では、相手が説明を用意しているのですが、

かれは、それを聞くつもりがないので、

反射的に、「嘘や!」が出てしまうのです。

つまり、その不快を、わたしも感じているということなのでしょう。

 

明石家さんまは、還暦を過ぎ、

内容のないトークは、もう通用しなくなってしまいました。

芸人にも、分別や年齢を重ねたことによる、

人間の深みが求められるのです。

 

とんねるずも、また、表舞台から消えようとしています。

かれらの真骨頂は、予定調和の破壊です。

一般人だろうが、容赦なく、暴言を吐いたり、客席に飛び込むなど、

予想できない動きが、デビュー当時の、かれらの真骨頂でした。

そのスタイルは、ベテランになっても変わらず、

とんねるず自身も、自分たちの芸は、素人芸だと公言しています。

 

とんねるずは、お笑い芸人とは一線を画し、

ミュージシャンやアイドルなど、別のジャンルの芸能人と交わり、

芸人と交流することは少なかったようです。

そのことは、とんねるずにとっては幸いし、

芸人同士の切磋琢磨とは無縁の位置にいたことが、

かれらの、タレントとしての寿命を長引かせた理由かもしれません。

 

とんねるずの破壊的な芸風は、いうならば、パワハラ芸です。

今や、かれらの芸風は、

パワハラを嫌う時代の空気に、なじめなくなってきているのですが、

とんねるず自身には、

自分たちの芸風を変えるパワーや熱量は、残っていません。

 

とんねるずの最後の看板番組である、

みなさんのおかげでした」の、30周年記念スペシャルで、

石橋貴明が、久しぶりに、「保毛尾田保毛男」を演じ、

LGBT団体から抗議を受けるなど、バッシングにさらされました。

わたしも好きなキャラクターだったのですが、

ホモセクシュアルを揶揄するものと受け取られ、

時代に受け入れてもらえなくなってしまいました。

 

ちなみに、

ダウンタウン松本が演じ、坂本龍一もその兄弟役で出演した、

パンツ一丁でウンチを漏らしたヒーロー(?)、アホアホマンも、

保毛尾田保毛男と同じく、時代に封印されるのだろうと思うと、

こちらも残念に思います。

 

明石家さんまや、とんねるずという、無芸の芸人が、

長きにわたってテレビのバラエティ番組を牛耳っていたことは、

昭和の文化人たちがいうところの、

一億総白痴化」の現れであることは確かですが、

わたしには、逆に、その寛容性こそが、

日本のよき時代の象徴だったようにも思えるのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。