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アントニオ猪木の外交

よしをです。
アントニオ猪木氏は、今年32回目の訪朝をおこないました。
猪木氏は、北朝鮮出身のスーパースター・力道山の愛弟子ということで、
北朝鮮では大変人気があり、
力道山とともに、北朝鮮の記念切手のモデルになっています。

猪木氏の活動は、
北朝鮮だけではなく、キューバや、イスラム社会にも及びます。
猪木氏は、モハメド・アリと戦った男ということで、
キューバでも人気があり、
フィデル・カストロ議長とも、親交がありました。

イスラム社会で、猪木氏に人気があるのは、
ムスリムである、モハメド・アリとの対戦はもちろんですが、
国民的人気を誇った、パキスタンの格闘家、アクラム・ペールワンと、
セメントマッチで対戦し、破ったことが、最大の理由です。
パキスタンでは、「猪木記念日」がつくられるほど、人気があるのですが、
日本では、ほとんど知られていないでしょう。

猪木氏の外交の最大の功績は、イラクの日本人人質解放です。
1990年、湾岸戦争勃発前夜、
イラクフセイン大統領は在留外国人の出国禁止を命じました。
いわゆる、「人間の盾」です。
バクダッドで、日本人46人が人質になったのですが、
外務省の解放交渉は、一向にすすみませんでした。

猪木氏は人質解放のために、
国内の航空会社に対して、イラクへの出航を要請しますが、
外務省の圧力により頓挫します。
そこで猪木氏は、駐日トルコ大使に協力を依頼し、
猪木氏が、チャーター機の費用を全額負担する条件で、
イラクへの出航の了解を得ました。

イラク入国の表立っての目的は、平和の祭典をおこなうことでした。
猪木氏は、
祭典関係者と人質の家族とともに、バクダッドに入りました。
平和の祭典は、ロックコンサートや日本の和太鼓演奏、
空手トーナメントと、最後にプロレスがおこなわれ、無事終了しました。

イベント後、人質解放の確約を得られぬまま、
落胆した猪木一行が、日本へ帰還する直前になって、
サダム・フセイン大統領から、日本人人質の解放が告げられ、
かれらは、全員救出されることになったのです。

猪木氏は、いくら批判されても訪朝を繰り返しています。
その理由を、
「話し合いもしないで、どう解決するんですか。制裁に対して謝るほど、相手は甘くない」、と語っています。
政府は、そんな猪木氏の活動を、完全に黙殺しています。

北朝鮮は、正攻法のアプローチが通じない相手です。
政府が手をこまねいている状態にあって、
われわれや政府は、猪木氏の活動を馬鹿にするだけでいいのか、
ときには、力技も必要なのではないか…。
そのためには、猪木が元気なうちに、
真剣に、活用を考えるべきではないかと思うのです。

もし、政府の正当な支援を受けることができれば、
猪木氏が、北朝鮮でプロレス興行をおこない、
拉致被害者を奪還することも可能かもしれない、
わたしは、そんなことを夢想しているのです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。