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ラオスと土器と玩具

よしをです。
インドシナ半島の内陸部に位置するラオス民共和国は、
首都はヴィエンチャン、人口700万人弱の社会主義国家です。
ラオス人民革命党による一党独裁ですが、
現在は、市場経済に移行し、日本との貿易も増えています。

ラオスの歴史は、中国雲南省にあった南詔国の支配権が南下し、
やがて、かれらが定住したことにはじまります。
1353年に、ラーオ族が、ラーンサーン王朝を建国し、
はじめての民族統一国家が誕生しました。
ラーンサーンとは、「100万頭の象」という意味で、
王国は、強力な戦象を駆って、近隣諸国を脅かしました。

18世紀になって、ラーンサーン王国は3つに分裂し、
それぞれ、タイやベトナム支配下に置かれ、戦乱が続きました。
19世紀には、フランスがインドシナ半島に進出し、
1893年に、フランスの保護国になりました。
第2次大戦後、1953年になって、ラオスはようやく独立を果たしますが、
なおも内戦が続き、
1975年になり、ラオス人民革命党が、
ラオス人民民主共和国を樹立して、現在に至ります。

世界地図を見ればわかるように、ラオスは、周囲を国境線に囲まれ、
建国以来、周辺諸国との戦いや内乱を繰り返してきましたが、
ようやく落ち着いたのが、40年ほど前ということです。

わたしは10年ほど前、
懇意にしていた、東南アジアに強いパイプをもつ、大阪の骨董商から、
15~16世紀のラオスの壺を購入しました。
古い窯跡から発掘された、高さ15センチほどの焼き締めの小さな壺で、
完品であり、徳利にでもなるかなと考えて、購入したものですが、
何度煮沸しても、土臭が抜けず、観賞用にしています。

焼き締めというのは、釉薬が施されていない陶器で、
日本のやきものだと、備前常滑丹波焼などがあります。
ラオスの壺は、常滑ほどではないですが、赤味が強いので、
おそらく、鉄分の多い、赤っぽい粘土でつくられたものでしょう。

ラオスでは、土を掘ってつくった、
半地下の、「掘り抜き」といわれる焼窯で、
土器を焼成するのが一般的ですが、
中南部では、アリ塚を利用して窯をつくる地域もあるそうです。
アリ塚は、非常に頑丈なのだそうです。
そのような原始的な窯で、粘土で形成した陶器を焼きます。
燃焼温度が低いので、ややもろいのが欠点ですが、
わたしの壺は、強く焼きしまっていて丈夫です。

ラオスの陶器は、近隣諸国に輸出されていました。
わたしの壺は、発掘品ではありますが、
輸出される予定だったかもしれません。

伝統的な作陶方法は、現代にも継承されていますが、
ラオスでは、国の方針により、樹木の伐採が大幅に制限されたため、
燃料コストが急上昇し、
非常に残念なことに、廃業する伝統窯が増えています。

先日、子どもの小さな乗り物の玩具に、LAOSの文字を見つけました。
以前は、CHINAやVIETNAMが主流でしたが、
ラオスは、プラスチックなどの加工品に、力を入れているそうです。

わが家には、
1600年製(推定)と、2019年製の、ラオスの輸出品があります。
不思議ですね(笑)。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。