さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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目が曇る

よしをです。
普段であれば、この品が贋物でないかどうかとか、
隠れた傷がないかどうかなど、
骨董を購入する前には、細心の注意を払って向き合うのに、
欲しいモノを目の前にすると、思わず目が曇る場合があります。

また、これまで購入実績のある店の場合、
相手を信用しきってしまい、
疑問を持たずに、贋物を買ってしまうパターンもあります。

李朝といわれる、朝鮮時代の陶磁器の蒐集に凝っていたころ、
ある李朝専門店の店主と懇意になりました。
最初に求めたのは、李朝初期の16世紀につくられた、
粉青沙器(あるいは三島暦)といわれる徳利でした。
疑いなくホンモノであり、
長年土中にあったとみえて、腰あたりに土が染み込んでいましたが、
幸い、傷はなく、器体も美しい一合徳利で、値段も手ごろでした。
東京や京都の店なら、倍以上の値段がついていたでしょう。

失礼ながら、店主は骨董屋らしくない(うさん臭くない)雰囲気があり、
聞けば、元・女子高校の教師で、
趣味が高じて、定年を機に、李朝の店を開いたのだといいます。

定期的に魅力的な品が入ってくるため、一時期、足繁く通いました。
三島徳利の次に、新羅の黒釉小瓶を求め、
それ以後は、民画を数点と、酒杯を数点購入しています。
民画は、間違いのない作品でした。
しかし、酒杯については、数点求めたところで、疑問が生まれました。

李朝の酒杯というのは、日本の猪口のようなものではなく、
本来は、どんぶりのようなものです。
どぶろくのような、アルコール度数の低い酒を、
貴賤を問わず、がぶ呑みするのが朝鮮の飲酒スタイルであり、
われわれ日本人が、酒杯として求めるのは、
もともと、薬を飲むための器であったり、化粧壺であったりと、
本来の目的とは異なる器であり、
趣味人は、これらを、酒杯に見立てて、使っているのです。
(桃山以来、「見立て」は粋という美意識があります)。

酒杯のベストサイズは口径6~9センチ程度ですが、
当然ながら、そのようなサイズの李朝の器は希少です。
ところが、この店では、
いいサイズの酒杯がいくつも出てくるのです。

普段のわたしであれば、
そのことに疑問をもって、購入をためらうところですが、
すっかり店主を信用してしまい、
気が付けば、7~8点を購入したあとでした。
どうにも違和感があり、信用できる専門店で見てもらうと、
やはり、すべてが贋作とのことでした。
同時期の本物と並べてみると、違いは明白です。
よく見れば、高台や、器体のへりの形状や、釉薬の色や艶、
そのすべてが違っていました。

最初にホンモノを買わせておいて、
客を安心させたところで、贋作をすすめるのは、
悪い骨董屋の常套手段だそうです。
わたしは、見事に騙されてしまいました。

「その店に返品に行った方がいい」、というアドバイスに対して、
当時のわたしは、すっかり消沈してしまい、
その店には、二度と行かなくなりました。

これをきっかけに、しばらく骨董蒐集から遠ざかることになりました。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。