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マイク・ホンダはなぜ反日なのか

よしをです。
マイク・ホンダは、1941年にカリフォルニア州で生まれました。
祖父母は熊本県出身で、1900年代にアメリカに移民し、
マイクは日系三世になります。
両親ともに日系なので、見た目は日本人と変わりません。

太平洋戦争中、日系人は、強制収容所に送られました。
ホンダ一家もコロラド州の収容所に送られ、
マイクも幼少期の14か月間、強制収容所で暮らしました。
一家は、1953年に故郷のカリフォルニアに戻ると、
イチゴ農園で小作農として働きました。

少年期を労働者として苦労したマイクは、サンノゼ大学に進学し、
卒業後は理科教師となり、2つの公立学校で校長を務めました。
1981年に、サンノゼ市の教育委員になり、
1996年に、カリフォルニア州下院議員選挙に、民主党から出馬し、
初当選します。

その後の、かれの政治活動においては、
1999年の「対日戦後補償」の提案にはじまり、
2007年には、慰安婦問題に対する、
日本政府への謝罪要求決議案を提出するなど、
強硬的な反日政治家として、頭角を現しました。

ヒラリー・クリントンの資金源としても知られる、
中国系の実業家、ノーマン・シューが、政治資金規正法で逮捕されると、
シューから献金を受けていたマイクは、
公開の謝罪と資金返還を、余儀なくされました。
2016年、アメリカ大統領選と同時におこなわれた下院銀選挙で、
9選を目指したマイク・ホンダは、落選しました。

マイク・ホンダが、反日政治家として活動した時代背景には、
ベルリンの壁の崩壊が、色濃く影響を与えています。
日本では、あまり報道されていませんが、
東西ドイツが統合すると、東欧諸国との賠償問題が発生し、
アメリカにおいても、ユダヤ系市民が、ドイツ企業を相手取って、
賠償請求を起こす裁判が、大量に起きたのです。

しかし、アメリカ政府の見解は、
西ドイツが、ホロコースト被害者やイスラエル政府に対して、
すでに賠償をすませており、統一ドイツには求償できないとしていて、
すべての裁判において、要求棄却判決が出されました。

そこで、第二次大戦被害者の要求の矛先が、
日本に向かったという訳なのです。
その橋渡しとなったのは、朝日新聞に代表されるマスコミです。
マイクは、その流れを機敏にくみ取り、
韓国系、中国系アメリカ人の支持を取り付けて、
反日活動をおこなっているのです。

日本(日系)人が、日本を非難することには、説得力があります。
「自国の問題を摘発するのだから、真実に違いない」、
と、思い込ませることができるのです。
これは、朝日新聞の姿勢と同じです。
慰安婦報道をはじめて発信したのは朝日新聞ですが、
韓国では、
「日本の新聞社が、日本の罪を告発するのだから真実だ」とされ、
いくら日本政府が否定しても、一切信じてもらえないのです。

マイク・ホンダは、日本を憎悪しています。
かれは、日本人と同じ顔をしていても、日系三世アメリカ人であり、
日本に住んだこともなければ、日本語も話せません。
おそらくは、強制収容所で幼少期をすごし、
その後、極貧生活をおくったことを、
すべて、日本のせいだと考えているのでしょう。

かれは、かわいそうな人ではなく、
ただの選挙芸者と呼ぶべき人物です。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。