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アイスマンの謎

よしをです。
1991年、アルプス山中のイタリアとオーストリア国境にある、
エッツ渓谷の氷河で、約5300年前の、
男性のミイラが見つかりました。
このミイラは「エッツィ」と命名されました。

エッツィは、身長160センチ、体重は推定50キロの小柄な体格で、
背中や脚に60か所の刺青があり、年齢は47歳前後とされています。
靴は熊の皮で作られ、草を編んだ服のうえに、
羊やヤギの皮を縫い合わせた外套を着ていました。
エッツィは、弓矢や銅製の斧を所有していました。

エッツィこが、なぜアルプスの山中にいたのでしょうか。
かれは、肩に矢傷を受けていて、
動脈の損傷による失血死で命を失っていたことがわかっています。
戦いで負傷し、おそらく追手に追われていたエッツィが、
この場所まで逃れ、あるいは、この場所でとどめを刺されて、
死亡したのだと考えられています。

エッツィの胃の内容物も調査されていて、
かれの最後の食事は、乾燥させたアイベックス(ヤギの一種)とシカの肉、
ヒトツブコムギで、当時としては、豪華な食事だったということです。
そして、食事後、わずか1時間後に殺害されたことが判明しました。
かれは右手の親指と人差し指の間に、骨に達する深手を負っていて、
手当の痕があったこともわかりました。

このほど、エッツィの消化管に付着していた、微量の植物の花粉や、
死体や発見場所から採取された、コケの分析がおこなわれました。
その結果、死の33時間前には、標高2500メートルの森にいたことや、
12時間前ごろには、
標高1200メートルまで、山を下りていたことがわかりました。
コケの分析からは、最期の2日間にわたって、
1000メートル以上の標高差を動いていたことになるそうです。
それまで、エッツィは、高地にいましたが、
比較的標高の低い森林に下りてから、さらに山を登って、
最後の食事をしたあと、
エッツ渓谷で殺害された(あるいは命がつきた)、
ということになります。
おそらく、山を下りて集落に向かい、
そこで何らかの抗争に巻き込まれて、
ふたたび山へ逃げたという可能性が考えられるといいます。

わたしは、かれの最後の晩餐に興味があります。
豪華な食事をしたあと、しばらくのちに死んだ(殺された)ことに、
エッツィの最後の謎が隠されているように思います。
現在、エッツィは、
イタリアのボルツァーノ考古学博物館に収蔵され、公開されています。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。