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鍛造と鋳造

よしをです。
人類が製鉄技術を会得したのは、
シリア、イラク北部のアナトリア地方で勢力を誇った、
ヒッタイト帝国が最初というのが定説でしたが、現在は否定されています。
ヒッタイトが製鉄技術をもっていたことは確かですが、
発掘調査により、その技術はヒッタイトのオリジナルではなく、
ヒッタイト帝国が成立する前に、
すでにアナトリア地方に、存在していたことがわかりました。
最初に製鉄を開始したのは、
ヒッタイトに征服された先住民だったと考えられています。
ヒッタイト帝国は、製鉄技術が他国に流出することを恐れて秘匿し、
帝国の崩壊とともに、
製鉄技術が、オリエント世界からヨーロッパに広がったという説も、
現在では、支持されなくなっています。

なんにせよ、ヒッタイトで製鉄がおこなわれていたのは確かで、
その方法は、鍛造によるものでした。
「鉄は熱いうちに打て」、という言葉があるように、
ヒッタイトでは、鉄鉱石を熱して金属鉄の塊をつくり、
赤くなった鉄塊をひたすら叩いて不純物を絞り出して、製鉄をおこないました。
日本の伝統的な刀剣製造も、鍛造によるものです。
鉄を融解させてから、型にはめて成型するのではなく、
赤く熱した鉄の塊を叩いて、
固体のままで、飴細工のように成型していきます。

実は、中国では、ヒッタイト以前に、製鉄がおこなわれていました。
その技術が、鋳造によるものだったことも、大きな違いです。
古代の欧州では、青銅器も鉄器も、鍛造で製造されていましたが、
中国では、夏王朝時代(紀元前1700年ごろ)には、
鉄も青銅器も、いずれも鋳造されていました。

中国は、鋳造技術によって、純度の高い鉄を手に入れました。
鋳造鉄器は、おもに農具に加工されましたが、
その理由は、武器としての強度に欠けていたからです。

中国で、武器として長く使われていたのは青銅器です。
三国志で活躍した、関羽の青龍偃月刀は、おそらく青銅製です。
中国の歴史映画などを見ると、よくわかりますが、
かれらの武器は、切るのではなく、おもに叩きつけるものでした。
この当時の鋳造鉄器は、強度が弱いので、すぐに折れてしまいます。
張飛の蛇矛は、本来なら鉄器ですが、
蛇矛は明代に開発され、三国時代には存在しない武器です。
したがって、わたしの勝手な想像では、張飛は、
巨大なハンマーのようなものを、振り回していたのではないかと思います。

鋳造によって不純物を取り除いた鉄は、強度が弱く、
鍛造による製法で、不純物を含んだ鋼のほうが、強度があがります。
つまり、実用性を考えた場合、鉄の発明よりも、鋼の発明が、
その後の人類の歴史に、大きなインパクトを与えたといえるでしょう。

骨董の世界では、
鍛造された古い鉄器が好きでたまらないというマニアがいます。
「この、赤錆の具合が」、なんてことをいいます。
古い和釘を集める人もいますし、蝶番などがついた古箪笥、
とくに船箪笥などは、かなり高価なものです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。