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同族企業のお家騒動

よしをです。
国際興業は、田中角栄の盟友であり、実業家の小佐野賢治氏が、
1940年に起業した、自動車部品会社「第一商会」がルーツです。
翌年には、同業の「東京アメリカ商会」の経営に参画し、
両社を合流させました。
小佐野氏は戦時下において、軍部の出入り商として蓄財し、
戦後になると、駐留米軍を相手に中古車販売を手掛け、
「国際商事」を設立しました。
その後も、おもにホテルの買収をすすめ、観光事業に進出しました。
また、東京急行から乗合自動車部門を買収し、
1947年には、商号を、「国際興業」としました。

小佐野氏は、その後、国内では、山梨交通、冨士屋ホテル、
国民相互銀行(のちに破綻)、日本電建(のちに大東建託と合併)など、
海外では、ハワイの複数のホテルを買収し、事業を拡大しています。
ロッキード事件により、
小佐野氏は証人喚問され、実刑判決を受けますが、
その間にも、帝国ホテルの買収に成功しています。

1986年に、小佐野賢治氏が亡くなると、
弟の政邦氏が経営を引き継ぎますが、政治家との繋がりは深く、
東京佐川急便事件に関わる、金丸信の脱税容疑で、
国際興業は、家宅捜査を受けています。

その国際興業で、お家騒動が巻き起こっています。
政邦氏が亡くなると、甥の小佐野隆正氏が経営を引き継いでいます。
現在のオーナーである、小佐野隆正会長を被告に、
小野田政邦氏の遺族が原告となって、裁判で係争中なのです。

国際興業の株式は、小佐野家がほとんどを保有していました。
内訳は、隆正、政邦の遺族、賢治の妻(秀子氏、子どもなし)です。
2000年代になると、国際興業は経営不振に陥り、
メインバンクであったUFJ銀行の貸しはがしにあって、
資金不足に陥っていました。
そこで、会社は、ハゲタカファンドとして悪名高い、
サーベラスグループをスポンサーにして、
会社再建に乗り出すことになりました。

その過程で、株主が一旦、すべての株式を放棄する、
100%無償減資が実施されました。
無償減資とは、会社の累積赤字の補填のために、
資本金で穴埋めすることで、
資本金は減少しますが、会社の純資産には変化はありません。
国際興業の場合、
無償減資によって、資本金をゼロの状態にして累積赤字を解消し、
あらためて、既存株主とサーベラスが出資をして、
資本の組みなおしをする構想でした。

ところが、その裏では、資本金ゼロの状態から、
隆正氏(45%)と、サーベラス(55%)が再出資して、株主となり、
会社を再出発させるという密約ができあがっていました。

隆正氏は、45%の株式を、
わずか4500万円で取得するという荒業を使い、
さらに、国際興業の不動産資産を取り崩して、
サーベラスから55%の株式を買い戻すことに成功しました。

前述のように、無償減資によって、
資本金は一旦ゼロになっても、会社の純資産に変化はありません。
隆正氏は、帝国ホテル、八重洲富士ホテル、浜松町駅前の土地を処分し、
サーベラス保有する55%の株式を買い戻して、
負債がなくなったキレイな状態の、国際興業の100%株主になりました。
また、資産の切り売り後も、
国際興業には、依然として1000億円程度の株式価値があり、
隆正氏は、多額の配当金を受け取っています。

考えてみれば、国際興業は、減資をおこなわなくとも、
会社の保有する不動産の一部を処分すれば、
経営再建が可能だったということになりますから、
ほかの株主は、必要もないのに、権利を放棄させられたことになります。

排除された同族株主の提訴は、本来であれば手放す必要のなかった、
株式価額、総額612億円の返還を求めています。

わたしの会社の取引先企業で、
社長(長男)、専務(次男)で創業した会社があります。
この会社が代替わりして、社長(次男)、専務(長男の子)になりました。
この先、仲良く代替わりをしていければよいのですが…。

同族会社を維持するのも、難しいことのようです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。