さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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巌流島あるいは岸柳島

よしをです。
7世紀の古代マヤ文明では、すでにタバコが吸われていました。
15世紀にアメリカ大陸が発見されて、
インディアンが吸っていたタバコが西欧に持ち込まれました。
当初は、タバコは観賞用、もしくは薬用として栽培されましたが、
やがて嗜好品として、世界中に広がりました。

日本へは、室町時代末期、もしくは安土時代に、
ポルトガルの宣教師が持ち込んだとされています。
江戸時代初め、喫煙やタバコ耕作は、失火や風紀の乱れ、
穀物の耕作の妨げになるなどの理由で、禁じられましたが、
禁令下でも流行していったため、容認されるようになりました。
江戸の町では、歩きたばこは禁止され、
江戸城内では基本的に禁煙でしたが、喫煙所が設けられました。
現代よりも、数段、喫煙マナーは整っていたようです。

江戸時代の喫煙スタイルは、刻みタバコをキセルで吸うものでした。
キセルやタバコ盆、煙草入れなどの喫煙具に工夫が凝らされ、
装飾品として発展するなど、独自の喫煙文化が発展しました。

タバコはナス科の植物で、習慣性のもとの成分は、ニコチンです。
ニコチンは、人間の脳のアセチルコリン受容体に作用して、
ドーパミンを出す働きがあります。
ドーパミンが出ると、「快」な状態になるので、気分が落ち着きますが、
ニコチン摂取を続けていくと、
体が、アセチルコリン受容体の働きを抑えるようになります。
すると、タバコを摂取しない状態では、ドーパミン不足となり、
イライラしたり、不安症状が起こります。
これがニコチン中毒の症状です。
江戸時代から、タバコの健康問題は知られていて、
貝原益軒の「養生訓」には、タバコの毒性や習慣性の記載があります。

ニコチン中毒から脱するのは、簡単ではありません。
喫煙せずにニコチンを摂取できる張り薬や、
タバコを不味く感じるガムなどが発売されていますが、
最終的には、自分の精神力でタバコを絶つしかありません。

また、タバコを吸うという行為には、一定の意味付けがあります。
箱から取り出し、ライターで火をつけ、灰をトントンと落とし、
吸い終わって消すという、一連の動作について、
喫煙者は、考え事をしながら、あるいは、リラックスのために、
これらの動作を、ほぼ無意識でおこなうのですが、
禁煙するというのは、この一種の生活リズムを絶つことであり、
タバコを吸うことと同様に、辛さを感じるのです。

浅草の厩橋の船着き場で、渡し船が出ようとすると、
いかにも粗暴そうな若い侍が、乗り込んできました。
出発してしばらく、侍は高価そうなキセルでタバコを吸い始め、
キセルをポンと、船べりに打つと、
銀製の雁首がぽろっと外れて、川に落ちてしまいました。
侍は、船頭に「船を戻せ」などと無理難題をいい、やがて落ち着きますが、
憤懣やる方ない表情です。
そのやりとりを見ていた屑屋が、
雁首が外れて不要になったキセルを買い上げたいと切り出します。
一度はおさまっていた侍の怒りが再燃し、屑屋を切り捨てぬばかり。
そこで、供を連れた初老の武士が仲裁に入りますが、
侍はますます激怒し、老武士に決闘を申し込みました。
老武士はやむなく勝負を受け、他の乗客に迷惑がかかるので、
川の中州で勝負しようと持ち掛けました。
船が中州につくと、老武士は、侍を置いて、船を岸から離してしまいます。
乗客は拍手喝采です。
皆、侍の傍若無人な振る舞いに不満を感じていたのです。
ところが、侍は着物を脱いで刀を背負うと、
川に飛び込んで、船を追いかけてきます。
老武士が槍を構えると、侍は船べりに顔を出し、
「落とした雁首を探しに来た」。

キセルは、かれの自慢の品だったのでしょう。
見つかる可能性はないのに、思わず川に飛び込んでしまうほど、
なくしたことが、よほど悔しかったのでしょう。
わたしには、若い侍の気持ちが、よくわかります。

ちなみに、決闘相手を置いてけぼりにするエピソードは、
ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にも採用されています。
こちらは蛇足にて。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。