さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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きれいごと

よしをです。
日本の社会は、目先のことや部分的な現象に関して、
情緒的になりすぎる傾向があり、
大局に立った戦略が立てづらい社会だといえます。
戦後教育の弊害か、日本では、全員がハッピーでなければなりません。
畢竟、どこかからの不満が、過大にクローズアップされる傾向があり、
「1を棄てて9を取る」、という戦略が立てられず、
つねに、八方美人的な対応をせざるを得なくなります

以前、このブログで、クルーズ船の3000人以上の乗員乗客に対して、
なぜ、政府が全員を下船させないのか、全員を検査しないのかについて、
検証してみました。
その結果、すでに感染している人については、
あえて、船内で発症させてから、下船させて隔離し、
一定期間留めおいて、感染が認められない人については、
グループに分けて下船させ、隔離することが、合理的だと結論付けました。
つまり、この船の対策だけに注力しすぎると、
やがて発生すると予想される、市中での感染拡大への対処が、
できなくなってしまう危険があったからです。
下船してから亡くなった方もいるので、大変お気の毒ですが、
100%誰もが満足できる対策というのは、現実的にできないのです。

武漢での疫病発生が発覚してから、中国との人の往来を制限しなかったため、
日本国内での疫病発生が止められませんでした。
政府が、渡航制限による、経済的な影響を重視していたことは確かであり、
結果的に、政府の初動対策が大失敗だったことには疑いはありません。
テレビのワイドショーでは、
コメンテーターとともに、多くの感染症の専門家が登場して、
事前事後の政府の対応について苦言を呈しています。

シロウトのコメンテーターとは違い、専門家は正しい指摘をしています。
しかし、指摘が正しいといっても、その通りにできないのが実情です。
それは、政府の怠慢でも無能でもなく、
現実的に、そのような対応ができないのです。

クルーズ船については、
たったひとりの感染者から、船内で二次、三次感染を重ねて、
現時点で、600人以上の乗客に感染が広がりましたが、
それは、専門家ですら、予測できないほどの強力な感染力であり、
さらに、市中感染が広がり、誰もが予想できない事態になりつつあります。

アルベール・カミュの長編小説「ペスト」は、
圧倒的な破壊力をもつ疫病ペストが市民を襲う、不条理を描きました。
市民は、圧倒的な自然の不条理を受け入れざるを得ず、
大きな犠牲を払って、ペストに打ち勝ちました。
われわれも、アルジェリアの市民たちがそうしたように、
一致団結して、最終的な破滅から逃れる知恵を集めなければなりません。

せめて、マスコミには、
きれいごとを並べたり、政府を批判することはやめてほしいのです。
そんなことは、とっくにわかっていることです。
ウイルスに打ち勝つためには、犠牲を覚悟しなければなりません。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。