さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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放屁あれこれ

よしをです。
20代の後半、太宰治は放埓な生活から、借金を重ね、奇行を繰り返し、
パビナール中毒からの入院や、心中未遂など、散々な状況にありましたが、
小説は書き続けていました。
太宰の才能を愛していた井伏鱒二は、かれを見捨てることなく、
執筆のための、あらたな環境を用意し、
この時期、太宰は、名作「富嶽百景」を執筆しました。

富嶽百景のなかに、太宰が井伏と富士山を見に行く場面で、
「…井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさそうであった」
という記述があります。

この日、二人は苦労して峠を登った末に、
残念ながら、霧で富士山が見られなかったのですが、
井伏が、岩に座って、つまらなさそうに放屁したという描写は、
富嶽を見られなかった残念さや、倦怠感を、際立たせています。
二人の関係性についても、師匠と弟子をこえた親しみを、
感じさせるエピソードだと感じました。

井伏鱒二は、この記述について、「事実無根である」、と反論し、
太宰に対して、この記述の取り消しを求めました。
井伏のいくつかのエッセーでも、言及されています。
この記述をきっかけに、
その後、二人の関係が、ややぎくしゃくしたというのですが、
井伏のマジメな人間性の現れだったのでしょう(笑)。

江戸時代には、
庶民の暮らしを面白おかしく紹介する絵画が描かれましたが、
江戸末期に描かれた、「屁合戦絵巻」という絵巻物に勝る、
バカバカしい作品はないでしょう。
「屁合戦」とは、文字通り、おならを使って戦うという意味で、
10メートルにもおよぶ巻物なのです。

放屁によって坊主が吹き飛び、乗馬しながら放屁し、
袋につめたおならを放ち、板に穴をあけ、
樹木や建物、猫も、勢いで飛ばされてしまいます。

おならの軌道が、ビームのように描かれているのも笑えるポイントです。
誰が書いたものなのか、
また、どんなマニアが所蔵していたモノなのかも定かではありませんが、
現在は、早稲田大学図書館所蔵だそうです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。
ぷ~。