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衆愚政治

よしをです。
陶片追放は、オストラキスモスといい、
オストラコン(陶片)を用いた投票により、
アテネポリスにとっての危険人物を、ポリスから追放する制度です。
実際に、この制度によって、追放された例は、
判明しているもので、12例あります。

紀元前480年にサラミスの海戦で活躍したテミストクレスは、
陶片による投票で、追放されたひとりです。
アテネアゴラ博物館に展示されている陶片には、
「ネオクレスの子」の記載があります。

プルタークの英雄伝にも、陶片追放の記載があります。
アルキビアデスは、マラトンの戦いでも活躍したアテネの将軍ですが、
ポリス内の政権争いで敗れ、陶片追放にかけられて、
一時アテネを追放されました。

英雄伝には、このような逸話も記されています。
アテネで、アリステイデスを追放しようとする動きがありました。
ある文盲のアテネ市民の男が、本人とは知らず、アリステイデスに、
「これに、アリステイデスと書いてくれないか」、と頼みました。
アリステイデスは驚いて、
「アリステイデスは、何かひどいことでもやったのかい?」、と尋ねると、
その男は、
「それがどんな男か知らないんだが、どこへ行っても、『正義の人だ』という噂を聞くもんだから、腹が立ってならないからだ」、と答えたといいます。
アリステイデスは、
黙って陶片に字自分の名前を書くと、男に戻したといいます。

これこそ、衆愚政治のはじまりといえるもので、
直接民主主義の難しさをあらわす例だと思います。
プルタークは、テミストクレスの追放に関しても、
陶片追放は、刑罰ではなく、ポリス社会の嫉妬心を軽減するために、
おこなわれたものだと評しています。

アテネの近郊には粘土の採掘場があり、アテネは製陶業の中心でした。
製陶業というのは、不良品や割れた製品が多くできるため、
陶片の再利用がおこなわれることが多いのです。
たとえば、土管などの製陶で知られる愛知県の常滑では、
割れた土管を、道路や壁に埋め込み、再利用しています。

当時、エジプトで発明されたパピルスは高価であり、
ギリシアでは、陶片を削って、文字を記すことが一般的だったようです。
陶片追放に使われていたものは、片面に、黒釉が施されたもので、
表面を、釘のようなもので削って、文字を刻んであります。

コレクターとしては、
実際に陶片追放に使われた陶片を、入手したいと考えるのですが、
残存するのは、博物館で見られる数点だけで、
とても、市場に出るような品ではないそうです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。