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宝石と希少性

よしをです。
古代ローマ博物学プリニウスは、
ラピスラズリを「星の煌めく天空の破片」と表現しました。

ラピスラズリは、とりわけエジプトで好まれ、
天空と冥界の王オシリスを象徴する石とされています。
紀元前3000年の墳墓から、ラピスラズリの装飾品が発見され、
王家の谷のツタンカーメン王の黄金マスクの装飾にも、
ラピスラズリが使われていました。
古代エジプト人は、ラピスラズリの超自然的な力が病気に効くと考え、
眼病や頭痛の際に、粉末にして塗布、服用していたという記録があります。

エジプト以外では、
たとえば、紀元前2500年ごろのシュメールの都市ウルラの遺跡からも、
ラピスラズリの装飾品が多数出土しているほか、
旧約聖書出エジプト記にも、
イスラエルの祭司の装飾品として、ラピスラズリの記録があります。

西欧では、絵画の顔料としてラピスラズリが使われました。
ラピスラズリは、中世まで、アフガニスタンでしか産出されない高級品で、
中東から持ち込まれた、この石の粉末は、
同じ重さの金以上の価格になったといいます。
この青色の顔料は、
17世紀のオランダの画家フェルメールが好んで使ったことでも知られ、
フェルメール・ブルー」とよばれています。
日本では、ラピスラズリは瑠璃(るり)とよばれ、
空海は、瑠璃を守護石としていました。

現代になり、ラピスラズリアフガニスタンの内戦により、
戦費捻出のために大量に海外市場に放出されて、価格が暴落し、
希少性を失ったラピスラズリは、宝石としての価値を失いました。

オランダ人は、アメリカのマンハッタン島を、
アメリカ先住民から、ガラスのビーズと交換して手に入れました。
当時のマンハッタン島は、ただの湿地帯で、価値のない島でした。
先住民にとっては、キラキラ光るネックレスの方が、
はるかに魅力的だったのでしょう。

イギリスのエリザベス1世は、純潔で神聖なイメージを演出するために、
当時は希少であった、真珠の装飾品を好みましたが、
あるときを境に、真珠の価値が大暴落しました。
日本の御木本幸吉が、真珠の養殖に成功したからです。

ダイヤモンドは、原石の採掘から流通まで、
長らく、南アフリカデビアス社が支配してきました。
デビアス社の市場独占によって、希少性のイメージが保たれ、
ダイヤモンドは、高い価格で取引されてきました。
しかし、近年では、デビアス社の手が及ばない、
ロシアやオーストラリア、カナダ、中国などで採掘が活発になり、
同社のシェアは減少しています。

市場の状況の変化により、
デビアス社のマーケティング戦略にも、陰りが見えつつあります。
天然ダイヤモンドの生産量は、
1870年代は100万カラット以下でしたが、
2000年代になると、1億カラットを越えています。
流通量が100倍にもなれば、希少性も損なわれ、
市場原理からすれば、価格が暴落してもおかしくないはずです。

また、人工ダイヤモンドにも技術革新がすすみ、
光学的にも、もはや天然物と区別できないぐらいの、
ハイレベルな人工ダイヤモンドが製造されています。

ラピスラズリや真珠と同じ状況が、ダイヤモンドでも起こるはず。
個人的には、そのように考えています。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。