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マラーと皮膚病と絆創膏

よしをです。
200年前の殺害現場に残されたDNAを解析し、
ある歴史上の人物が罹患していた病気が判明したという研究結果が、
発表されました。
その人物とは、フランス革命で重要な役割を果たした、
ジャン・ポール・マラーです。

マラーは、ロビスピエールなどが主導するジャコバン党に所属し、
1780年代、フランス革命を熱烈に支持するジャーナリストとして、
新聞「人民の友」を発刊し、パリ市民からの熱狂的な支持を背景に、
革命をアジテートし、王党派を敵に回していました。
その結果、マラーは、王党派の支持者である、
「暗殺の天使」とよばれたシャルロット・コルデーによって、
バスタブのなかで殺害されました。

マラーは普段、労働者と同じように頭にスカーフを巻き、
ローブと開襟シャツを着ていました。
かれが目立っていたのは、服装ではなく、その風貌でした。
マラーの皮膚は、
皮膚病によって水疱だらけで、傷口から体液がにじんでいました。
市民はその姿にぎょっとし、
梅毒か、らい病かと、病名をあれこれ詮索しました。

マラーは王党派に追われて、しばしば逃亡生活を送りました。
屋根裏部屋や下水道に隠れ住むこともあったといい、
これらの不潔な環境が、
ますますかれの病気を重くすることになりました。
暗殺の直前になって、ようやく定住できる家に落ち着きますが、
ほとんど外出することなく、皮膚の痒みを鎮めるために、
浴槽で長時間の入浴をしながら、仕事をし、人と面会しました。

「マラーの死」を描いた、ルイ・ダビッドの絵画の影響もあって、
わたしは、マラーはコルデーの色仕掛けによって殺されたと
信じていたのですが、実際はそうではありませんでした。
1793年7月13日、入浴しながら新聞を読んでいたマラーの元に、
王党の支持者、シャルロット・コルデー突然乱入し、
胸にナイフを突きたて、マラーはすぐさま失血死しました。

調査が明らかにしたのは、
新聞紙に付着した、マラーの血液を分析した結果でした。
マラーの妹が、殺害現場の血染めの新聞を保存していて、
今日まで、それが残されていたのです。
血液のDNA分析から、
マラセチヤ・レストリクタというカビが見つかりました。
マラーを苦しめていた皮膚病の原因は、カビだったのです。

この皮膚病は、いわゆる「癜風(でんぷう)」といわれる病気で、
熱帯地方などでは一般的な皮膚病ですが、
人から人への伝染性はなく、
マラーの症例のように、重症化するケースは稀だということです。

マラセチヤは、「毛包炎(もうほうえん)」の原因ともいわれています。
第一次安倍内閣に、
農林水産大臣を務めた、赤城徳彦という政治家がいましたが、
政治資金規正法違反の疑いや、架空の事務所経費の申請など、
スキャンダルが続きました。
2007年7月、事務所不正問題をうけて、会見をおこなった際、
赤城大臣は、顔に大きな絆創膏を貼って登場しました。
複数の記者から、この絆創膏について質問を受けましたが、
赤城大臣は、「たいしたことじゃない」、「何でもない」の一点張りで、
絆創膏の理由を、頑なに説明しませんでした。

その後、赤城大臣は、「原因は、毛包炎である」と明かしますが、
折にも、参院選の直前であったため、
会見における、かれの不遜ともいえる態度が、
自民党敗戦の原因のひとつになったと揶揄されました。
その後、モーホーエン赤城氏は、次の選挙で落選し、
現在、どうされているのかは知りません。

政治とマラセチヤ繋がりで、紹介しました。
お粗末様でした。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。