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加賀100万石のバカ殿

よしをです。
前田利常は、加賀前田藩の二代目藩主です。
利常は前田利家の四男として生まれ、武に長け、情けにも厚く、
知行体制を改革して、加賀100万石の礎を築いた中興の名君です。

利常は、鼻毛の殿様として有名で、
わざと鼻毛を伸ばして、バカを装い、国を守りました。
参勤交代で江戸城に参上する際には、
利常は、長さ一寸(3センチ)の鼻毛を伸ばし、
江戸城内を闊歩したといわれています。
家臣は、利常の企みが理解できず、恥ずかしく思い、
利常に見せようと、側近に鼻毛を抜かせてみせたり、
鼻毛抜きを届けさせたりと、それとなく気づかせようとしますが、
ことごとく失敗します。

家臣たちは、ついに意を決し、
鼻毛を切って欲しいと懇願すると、利常はこのように答えます。

「そなたたちが、わたしの鼻毛が伸びたのを心苦しく思い、世間も、わたしを鼻毛の伸びた、うつけものとあざ笑っていることは重々承知している。幕府は、われわれ外様大名を常に警戒しているのだ。思わぬ疑いや難儀を受けないために、こうやって馬鹿のまねをしているからこそ、加賀、能登越中の三国を保ち、領民ともども楽しく過ごせるのだ」。

利常の先代にあたる、加賀前田藩の初代藩主、前田利長(利常の兄)は、
父の利家からは、豊臣秀頼を守護するようにと遺言を受け、
母のまつは、徳川家康に人質にとられるという難しい立場におかれ、
究極の選択を迫られた結果、弟の利常と家康の孫を結婚させて、
家督を譲ると、隠遁して、すぐに亡くなってしまいました。
その死因は病死だとされていますが、
自らの死をもって、豊臣家とのつながりを断つために、
服毒自殺した可能性が高いといわれています。

利常も、暗殺や謀反の疑いをかけられることを恐れていました。
幕府の有力者から振舞われるご馳走は、
宴席を抜けて、隠れて吐き出していたというように、
細心の注意を払っていたのです。
その警戒心を悟られぬように、鼻毛を伸ばしてバカを装うことなど、
常人では到底真似できません。
何にしても、鼻毛というのが絶妙なツールで、
なかなか、痛快なことをする殿様です。

前田利常は、34年間藩主の座にあって、善政に努め、
前田光高に家督を譲ったあとは、
廃城となっていた小松城を改修して、居城としました。

石川県小松市の芦城公園(小松城跡)に、利常の銅像がありますが、
写真で確認するところでは、鼻毛は伸びていないようで、
少し残念に思います(笑)。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。
志村けんさんの追悼に代えて。