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治水と古代文明

よしをです。
紀元前3000年~2000年ごろ、
メソポタミア、エジプト、インダス、中華の4大文明が相次いで誕生しました。
これらの文明は、それぞれ、
チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河という、
大河のほとりに生まれました。

川は、耕作や交通など、人間の生活にとって不可欠な水を提供しますが、
その氾濫によって、
人間の生活に破滅的な破壊をもたらす、厄介な存在でもあり、
河川を安定的に活用するためには、
堤防や灌漑設備などの治水工事が欠かせません。
治水工事には、膨大なマンパワーが必要であり、
川を維持するためには、強大な専制国家を必要としました。

現代においても、治水は重要なインフラ整備のひとつですが、
費用対効果の面において、ほかのインフラと比べ、
かかる費用が大きすぎるという面があります。
たとえば、道路が整備されていなければ、渋滞や事故が起きるし、
水道や電気が中断すれば、すぐに市民生活に影響がでますが、
平常時であれば、川は暴れることはありません。
問題が起こるのは、大雨や台風などの非常時に限られることから、
どうしても、整備が後回しにされてしまうという危険があります。

古代中国の王である禹は、日本でも治水の神として祀られています。
堯帝の時代に、中原では、たびたび黄河の氾濫が起こったため、
堯帝は鯀に、治水を命じましたが、
鯀の築いた堤防は、洪水を止めることができませんでした。
鯀ののち、息子の禹がその任務を引き継ぎました。
禹は、父親の失敗を教訓にして、大きな堤防を築くのではなく、
山を切り拓き、川幅を広げ、流れが急になる湾曲した箇所などに、
複数のバイパスをつくって、水流を分散する工事をおこないました。
工事が完了するまでに13年の年月を要しましたが、
この工事により、中原周辺の川の氾濫はなくなりました。
人びとの崇拝をうけた禹は、堯のあとを継いで王となり、
夏王朝を創始したとされています。

史実と神話が混沌とする時代にふさわしく、
禹の治水工事には、いろんな神々が登場します。
治水を阻む、共工、相柳、浮遊といった邪神を征伐する話など、
興味深い逸話も残っています。

時は過ぎ、20世紀になると、文化大革命において、
禹は、孔子とともに封建主義をつくった悪人として排斥され、
全土に残る、禹王廟や像の多くが破壊されました。
現代の中国が、禹王の功績を否定するような、
適切な治水を維持しているのかといえば、
大いに疑問があるところです。

中国共産党は神にはなれません。
おこがましい話です。

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。