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縄文へのいざない

よしをです。
青森市に位置する、三内丸山遺跡は、
紀元前4000年~3000年ごろの縄文時代に栄えた、
日本最大級の集落跡で、
1000年間もの長期にわたって、定住生活が営まれていました。

遺跡の発掘調査により、
大小の竪穴式住居や墓、ゴミ捨て場、道路跡などが発見され、
膨大な量の縄文式土器や石器、
土偶翡翠、黒曜石などが出土しています。
また、集落では、ひょうたん、ごぼう、豆、栗などが、
栽培されていたこともわかりました。

縄文時代の日本列島の人口は、最盛期に25万人程度に達し、
縄文晩期には、8万人に減少したとされています。
縄文時代は、現在よりも気候が温暖でしたが、
紀元前2200年ごろに突然、寒冷化しました。
同時期に、人びとは三内丸山から忽然と姿を消すのですが、
気候変動と、三内丸山の盛衰は完全に合致しています。

三内丸山から発掘された、翡翠糸魚川産、黒曜石は北海道産であり、
かれらは、船を使って列島各地と交易をおこなっていたようです。
さらに、国内に限らず、大陸との交流の可能性も示唆されています。
円筒土器や、耳飾りの形状から、
中国の遼河文明との類似が、指摘されているのです。

「縄文」というネーミングは、
エドワード・モスが、大森貝塚から発見した土器の文様に由来します。
世界最古の土器は、約2万年前の中国江西省仙人洞から発掘された、
土器の破片だといわれていますが、
原型が再現できる土器としては、
今から1万6000年前につくられた、縄文土器が、
世界的にみても、最古の焼き物に属しています。

縄文式土器土偶翡翠などは、古美術品として流通しています。
縄文土器として、もっとも有名なのは、火焔式土器ですが、
市場に出ているものは、すべて模造品です。
マニア垂涎の的は、遮光器土偶で、何点かは国宝に指定されましたが、
こちらは、ときどき骨董店で、本物に出会うことがあります。
縄文末期の亀ヶ岡遺跡(青森県)由来のものが多いそうですが、
残欠であっても、かなり高価なものです。

土偶には、よくわからないことも多いのですが、
呪術的な意味合いが込められているといわれています。
古代、女性の出産は命がけでした。
妊婦の30%が、出産がうまくいかずに亡くなったといわれています。
アイヌには、母子ともに亡くなった妊婦の腹を割き、子どもを取り出して、
女性の腕の中に抱かせて、一緒に葬る風習があったそうですが、
縄文土器土偶には、腹に縫ったような文様のあるものが多いのです。

縄文土器の鑑定方法は、きわめて簡単です。
土器を水で濡らせて、強い土臭がすれば、本物だと断定していいでしょう。
あたらしく焼かれたものに、
何千年も土の中に埋まっていたような土臭をつけることは不可能です。
以前、そのような光景を見たことがあるのですが、
土器に唾をつけてこするのは、やめていただきたいものです。


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