さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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戦後教育の弊害である

よしをです。
ダイアモンドプリンセス号から下船したその足で、すし屋に直行したり、
スポーツクラブやスナックに行って、ウィルスをまき散らした老人、
トイレットペーパーの買いだめの行列に並ぶ老人など、
昨今の高齢者の倫理観の低下は、実に嘆かわしいといわざるを得ません。
開店前のパチンコ屋や、ドラッグストアに行列をつくっているのは、
主に高齢者であり、かれらは必要以上のマスクの買いだめをしています。
子どもは行動制限されているのに、
なぜ高齢者が野放しになっているのかという、不満の声が多く聞かれます。

鉄道職員や役所、医療関係者への暴言や暴力なども、
圧倒的に高齢者によるものが多いといわれており、
高齢者による犯罪や再犯率も、増加傾向にあります。
歳を重ねれば穏やかな性格になり、
寛容になるという好々爺のイメージは最早、完全に消え去り、
キレやすく、自己中心的になる高齢者が多いように感じます。

日本を訪れる外国人は皆、治安のよさや、
日本人、とくに高齢者の礼儀正しさや親切、勤勉を評価しますが、
その実態は、外面がよいだけで、
権利ばかりを主張し、他人を顧みない利己主義者たちの集団です。

進駐軍司令官ダグラス・マッカーサーは、日本の教育を改悪し、
日本人の道徳的退廃をすすめた張本人です。
戦後教育が教えたのは、人権、平和、生命の3つの要素であり、
それ自体は崇高な理念であり、問題があるわけではないのですが、
この教育システムには、本来、国民としての義務である、
道徳や社会秩序に関する教育が決定的に欠落していました。

命を大切にするとか、家族への愛情や、弱者救済の心など、
普遍性のある道徳心は、思想信条をこえて自然発生的に生まれますが、
国や郷土を愛する心や、集団のなかで規律を守るといった規範原則は、
自然に発生するものではなく、教育によって教えるべきものです。
日本国憲法と戦後教育(教育基本法)は、
愛国心と国民の自尊心を否定し、
国と社会を守ることの重要性を軽んじています。

戦後教育において、個性の尊重や個人の自由が強調される一方で、
規律や責任、社会貢献などの基本的な公共精神は軽視されました。
高度成長期になって、過度な学歴偏重主義も加わって、
拝金主義や自己中心主義が日本社会にはびこるようになったのです。

昭和20年生まれの人は、現在75歳です。
現在、国家的危機の状況において、
社会全体を顧みず、わがまま放題で迷惑行為を繰り返し、
さまざまな社会倫理の破壊活動をおこなっているのが、
戦後教育によって、権利が肥大化した老人たちなのです。

待機児童問題が深刻な東京都内では、
保育所の建設計画がストップする事例が増えています。
多くは施設計画の周辺に住む、高齢者の反対運動によるものです。
わたしの子どもの頃は、「子どもは国の宝」という老人がいましたが、
この国の高齢者は、子どもにすら寛容ではなくなりました。

三国志曹操は、「余は老人が好きだ」と述べていたといいます。
合理主義者の曹操は、
老人は、善行をしていたから長生きしたに違いないと考えていたようですが、
現代の日本の高齢者の実情を知ったら、どう感じるでしょうか。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。