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文化大革命の時代

よしをです。
過去にも、中国大陸の歴史では、
大虐殺や、従前の価値観を根本から覆すような、
ダイナミックな大転換が、度々おこなわれてきました。
記憶にあたらしいところでいえば、文化大革命があります。

1960年代の中ソ論争により、
中国共産党中共)内では、修正主義に対する批判が盛んになり、
毛沢東思想が、さらに強調されるようになりました。
毛沢東が推進してきた大躍進政策の計画が行き詰まって、
国中が混乱し、2000万人もの餓死者を生むなど、
中共の威光に、衰えが見えていた時期でもあります。

国内では、紅衛兵という、ラディカルな民兵組織が、
自然発生的に組織されました。
毛沢東の腹心の共産党副主席・林彪は、
紅衛兵に対して、反革命勢力の糾弾を扇動しました。
いわゆる実権派や、その支持者とされた、
中国共産党の幹部や知識人、旧地主などのブルジョア階級や、
その子孫などが、反革命分子として定義され、
紅衛兵による、暴力や迫害のターゲットになりました。
いわゆる文化大革命文革)のはじまりです。

中国全土で、紅衛兵の私刑や自殺によって、多数の死者が続出し、
紅衛兵自体も、派閥争いをして内ゲバを繰り返すなど、
混沌とした状況になりました。
人だけでなく、文化浄化と称して、貴重な文化財も破壊されました。
紅衛兵の暴走は制御不能になり、
毛沢東は、1968年に、上山下郷運動を主唱し、
都市部の紅衛兵を農村部へ体よく追いやり、収拾を図ろうとしました。
これによって、都市部での混乱は落ち着いたものの、
農村においては、紅衛兵による粛清が止まりませんでした。

ナンバー2の地位にあった劉少奇が、文革で失脚し、
林彪は、毛沢東の後継者に指名されますが、
毛沢東に野心を疑われて、対立が明らかになっていきました。
林彪が企てたとされる、毛沢東暗殺計画が発覚したため、
かれは、飛行機でソビエトへの逃亡を企てますが、
モンゴル国内で墜落死しました。

林彪亡き後も、四人組を中心に、文革は継続しますが、
1976年に毛沢東が死去し、それと同時に、四人組が失脚して、
10年にわたる文革は、ようやく終息しました。
文革は大きな犠牲者を生み出し、
その死者は、全土で200万人に及ぶという推計もあります。

毛沢東の死後5年がたって、中国共産党中央委員会は、
文革を、重大な災厄と損害と認定し、
社会に逆行をもたらした失敗であったことを認めました。
しかし、その後も、人民統制は継続しておこなわれています。

中国教育部は、全国の学校の図書館に、
共産党や指導部への批判をする書物や、
社会の秩序に悪影響を及ぼす本を処分する通達をおこなっています。
以前、甘粛省にある図書館では、図書館職員が、
政府に批判的な書物や、宗教的な出版物を燃やしている様子が、
ウェブサイトにアップされていたそうです。
まさに、古代の「焚書」さながらの姿です。
ネット世界にも、政府の監視の目が注がれていて、
甘粛省焚書の映像は、すぐに消去されたそうです。

現代の中国を文革の時代と比べてみても、
世の中は、よくなっているとは思えないのです。
アメリカの諜報機関の情報では、
中国は、密かにウイルス兵器の開発をしているそうですし…。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。