よしをです。
2008年のリーマンショックは世界規模の金融危機をもたらし、
ビジネスマンの往来や観光客の減少により、
航空機の利用客は激減しました。
日本航空の2009年3月期の最終損失は600億円を超え、
2009年上期の赤字は1300億円を突破しました。
利用客の減少以外にも、日本航空は2000億円を超える、
燃料のデリバティブ取引による損益を出していて、
この損失が、倒産の直接の原因だったともいわれています。
何にせよ、親方日の丸のぬるま湯体質により、この経営危機に関しても、
政府がなんとかしてくれるだろうという甘えがあったのでしょう。
国土交通省は、経営改善のための有識者会議を開き、
日本航空が経営改善計画を立案することになっていました。
その直後に民主党政権が誕生しました。
この政権は、自民党政権の官民癒着を全否定することからスタートし、
公共事業の削減に躍起になっていました。
前原国交大臣は、JAL再生タスクフォースを設置して、
日本航空の経営再建問題に、積極的に関与していきました。
タスクフォースは、国交省が当初計画した銀行に対する返済猶予案を否定し、
いきなりの債権放棄と、債権の株式化を要求しました。
金融機関が、このような条件を飲めるはずもなく、
主力行であるメガバンクと日本政策投資銀行は、猛反対しましたが、
最初から法的整理ありきで臨んでいた民主党政権と前原大臣は、
タスクフォース案を採用し、日本航空の息の根を止めました。
2010年1月、日本航空は、
発足したばかりの企業再生支援機構に支援を申し込み、
東京地裁に会社更生法の手続き開始を申請しました。
こうして日本航空は破綻しました。
航空行政の民営化推進により、
有力政治家は、国交省と日本航空に圧力をかけ、
地元にローカル空港を続々と開港させ、路線誘致をおこなってきました。
日本航空は、族議員の圧力を恐れて、
地方空港の路線を維持してきたのですが、ほとんどが赤字路線であり、
日本航空が破綻したときには、274路線のうち、193路線が赤字でした。
日本航空の経営が放漫状態であったことは否定できませんが、
自民党の族議員は、票稼ぎのために、赤字必至の路線を押し付け、
民主党政府は、自民党主導の行政運営を否定して人気取りをするために、
日本航空を、あえて破綻させました。
政治家に、よってたかって食い物にされ、利用されて、
ついには倒産してしまったのです。
日本航空に、元京セラ会長の稲森和夫氏が会長に着任し、
経営再建をすすめました。
再建は厳しいという多くの予想に反して、
稲盛氏の指導のもと、日本航空は奇跡的にスピード再建を遂げ、
2012年に東京証券取引所に再上場しました。
経営の天才をトップに迎えて、
あの鶴のマークが消滅してしまう危機から脱することができたのは、
なにより幸いでした。
そして現在、武漢肺炎の影響で、
日本航空に限らず、世界中の航空会社が瀕死の状態にあえいでいます。
パンデミックがおさまり、人の往来が復活したとき、
業界地図がどのように変わっているのか、目が離せません。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。