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円空仏の魅力

よしをです。
円空は、寛永9年(1632年)、美濃国で生まれました。
生誕地は、現在の羽島市内とも、郡上郡美並村ともいわれています。
父は不明、母は、円空が5歳のとき、長良川の洪水で溺死しました。
円空は、両親を亡くして早くに出家し、
23歳のときに、諸国遊行の旅に出ました。
32歳ごろから、彫仏をはじめ、
北は北海道から、南は奈良県までを旅しました。
かれは、各地を行脚して修行を重ね、
貧困にあえぐ人びとの救済を念じて、多くの仏像を刻みました。
諸国を回った円空は故郷近くに戻り、元禄8年(1695年)、
岐阜県関市弥勒寺近くの、長良川河畔で没しました。
言い伝えによると、円空は川の岸辺に穴を掘らせ、
節を抜いた竹を通風筒として立てると、鉦を叩きながら、念仏を唱え、
即身成仏を遂げたといわれています。

円空は、生涯のうちに12万体もの仏像を彫ったといわれています。
現在確認されている円空仏は、5千数百体あり、
同じものはないといいます。
各地に残る円空仏は、拝んで病気が治ったとか、雨が降ったなど、
数々の伝説を残しています。

円空は、立ち枯れの木や流木など、
その辺にころがっているような木片に、仏を刻んでいきました。
複数の彫具を使わず、木を鉈で割り、一気に彫り上げています。
仏像は、背面がスッパリと切られ、
その背面に、梵字の銘が書かれているものが多くあります。
荒削りで、一見無造作に彫られていますが、無駄がありません。
慈愛にみちて微笑んだ顔、怒りの顔、少しおどけたような顔など、
仏さまは様々な表情をみせています。

円空仏は骨董としても人気がありますが、実に贋作が多いのです。
もし、真物であれば、大きな作品で、鑑定額は500万円程度です。
真贋のポイントのひとつは、背銘の有無だといいますが、
本物で銘のないものもあり、絶対的な条件ではありません。
贋作には、のちの習作や、本物の型取りなどがありますが、
同じものはふたつとしてないので、鑑定も難しいのでしょう。

円空が、12万体ともいわれる仏像を彫ったのは、
母の菩提を弔うためだったといわれています。
最後に、母が死んだ長良川河畔を入滅の場所に選んだことからも、
それが伺えます。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。