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薙刀最強説

よしをです。
三国志関羽の得物(武器)である「青龍偃月刀」は、
長い柄の先に、中華包丁のような幅広の刀身がついたもので、
重さは82斤(一説に50キロとも)とされていますが、
正史(三国志)には登場せず、残念ながら、架空の武器です。
のちの正史(宋史)には、
関羽の子孫を自称する、関勝という武人がいて、
大刀の名手であったという記述があることから、
関羽もまた、中華包丁のような形状の大刀を使っていたと、
勝手に想像しています。

薙刀なぎなた)は、日本独自の武器で、
長い柄の先に、反りのある刀身を装着した武具です。
刀身は、青龍偃月刀のような大刀ではなく、
ペティナイフのような細い刃を、三日月状に反らしたものでした。
平安時代北面の武士が使いはじめた武器とされ、
比叡山の僧兵や、武蔵坊弁慶の武具としても知られています。
この時代の薙刀は、刀身部分が軽いので、
自由に扱うためには、相当な腕力が必要でした。

源平合戦にあるように、
この時代の戦いは集団戦ではなく、一騎打ちが中心で、
お互いが大声で名乗って戦い、
ほかの者は、手出しをせずに、離れて見守っていました。
一対一の対戦において、
リーチが長く、攻撃力に優れた薙刀は有効な武具でした。

鎌倉時代になって、戦闘形式が集団戦に変化すると、
主力は槍部隊となり、薙刀は、ほとんど使われなくなりました。
薙刀は、ひと振りで複数の敵を倒すこともできる、強力な武器ですが、
集団の中で振り回すと、周りの味方を斬ってしまう懸念がありました。

南北朝時代になると状況が変化し、薙刀は復活しました。
応仁の乱によって、合戦が全国に広がり、戦闘員の人手が不足すると、
集団戦を組織することが難しくなり、乱戦が中心となったのです。
農民崩れの流民や野盗など、戦闘の素人を動員するようになると、
素人でも扱いやすい薙刀が、再び注目されるようになったのです。
その後、戦国時代以降は、また集団戦が復活したため、
武器は」槍や弓が主流になり、
あらたに導入された鉄砲部隊が加わりました。

他国には、薙刀に匹敵する武具は、類型が少ないようですが、
中世のイタリアで使われていた「ビル」という棹型武具は、
湾曲したブレードの先端に敵を引っ掛けるフックがついていて、
薙刀に近い武器であるように思います。

その後。薙刀は、戦いの主流からは外れましたが、
「女子の嗜み」として残りました。
柄の長さを短くし、先端部の刃を厚くすることで、
非力な女性でも扱いやすい形状となり、
戦国時代の城主の妻など、一部の女性が、
薙刀をもって戦った記録があります。
薙刀は、扱いやすさや、その威力においても、
個人戦において、かなり優秀な武器であったといえるでしょう。


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