さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

超能力者空海の影響力

よしをです。
空海は804年に遣唐使として大陸に渡り、
長安青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に師事して、
1年もたたないうちに、真言密教の伝承者に任命されました。
あまたの弟子たちを飛び越して、異国からやってきた留学生の空海が、
いきなり密教の後継者に指名されたわけですから、
かなり異常な出来事です。

想像するに、空海の高い評価の理由は、
仏教の知見のほか、その語学力や、漢籍をはじめとする教養、
日本で三筆に数えられるほどの筆の達人であったことなど、
いくつもの要素が重なったのだと思いますが、
これほどの短期間で最高の評価を受けられた理由は、
なによりも、かれの卓越した行動力にあると思います。

唐から帰国した空海は、高野山を開き、東寺を中心に密教の教えを広め、
庶民のための教育施設(綜芸種智院)をつくり、
各地の土木工事にも尽力するなど、
その活動範囲は、布教から慈善活動に至る幅広いものでした。

梅原猛氏の「空海の思想について」では、
空海は、宗派をこえて一般庶民の信仰と尊敬を受けていて、
霊験をもった超自然的な絶対者として仰がれていたといいます。
江戸時代まで、空海聖徳太子と並ぶ宗教界の超人として、
庶民の信仰を集めていました。
しかし、明治時代になって、
親鸞道元日蓮が、知識人の好む宗教人であったことと比較して、
空海はまったく人気がなく、体質的に空海を嫌悪する人も多くなりました。

出生から幼少期にかけてのオカルティックな伝説や、
金星を飲み込んで出家を決意した話にはじまり、
数々の霊験伝説や、即身成仏を遂げた最期にいたるまで、
空海の一生には、超能力者としての逸話が満載です。
近代の知識人から嫌われたことも、
空海のこのようなオカルト的な一面に起因しているのでしょう。

嵯峨天皇の御前に、南都六宗真言宗天台宗の高僧が集められ、
帝から仏教の根本教理を問われました。
三劫成仏説を説く、南都の各宗派の僧に対して、
空海密教奥義の即身成仏を披露しました。

空海は、「わたしが大日如来になってみせよう」と宣言し、
三密加持の儀式をおこなうと、全身から神々しい光を放ちました。
手品もしくは自己暗示か催眠術を用いたのだと想像しますが、
光り輝く空海の姿を前にして、
嵯峨天皇はじめ、一同は驚愕して声が出なかったといわれています。
これがきっかけで、空海嵯峨天皇に重用されるようになりました。

古今東西、宗教と政治が結託すると、ろくなことになりません。
空海の没後、真言宗は貴族の権力抗争に密教の加持祈祷を悪用し、
政敵を呪殺するオカルト宗教へと堕落していきます。
南北朝時代には、真言密教立川流という、
インドのタントリズムの流れをくむ、カルト系セックス教団が生まれました。
後醍醐天皇も、この教団に取り込まれるなど、
急速に全国規模で広がりましたが、
既存の宗教勢力から邪教視され、江戸時代初期には消滅しています。

空海密教は、カルト宗教と相性がよく、
ごく最近まで、密教は他宗派からも邪教の扱いを受けていました。
現代でも、オウム真理教をはじめ、
さまざまなカルト宗教のモチーフになっているのは、残念な事実です。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。