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石平と文化大革命

よしをです。
平氏は1962年、中国四川省成都市で生まれました。
1966年に始まった、文化大革命の余波により、
教師だった両親が大学から追放されて、農場へ下放されたため、
四川省の農村部で、漢方医の祖父に育てられました。

ある日、近所に住んでいた、気のいいゴミ拾いの老婆が、
反政府分子として逮捕され、見せしめのために町を引き回され、
処刑場で銃殺されました。
処刑の理由が、毛沢東の顔写真が印刷された新聞紙で、
大根を包んでいたことだと知り、石平少年はショックを受けました。

平氏は、苦学の末、北京大学に入学しました。
この時代の中国は、民主主義への傾向を強めていました。
ほかの大学生と変わらず、石平氏もルソーを読み、
キャンパスで民主主義を語っていたそうです。
1988年には日本に留学し、翌年、母国の天安門事件を知ります。
平氏は、この事件によって、この時代の若者の憧れであった、
民主主義的価値観をすべて破壊されたと感じたと語っています。

天安門事件によって、若い世代は民主主義という共通点を失いました。
そして、ある者は極端な拝金主義者となり、
その逆に、中国共産党の熱烈な支持者になった者もいました。
平氏自身は、中国共産党や、人民日報、CCTV(中国中央電視台)など、
あらゆる権威を信じられなくなり、
祖国との精神的決別を決心することになりました。

平氏は、留学中の日本で、
隋唐時代の中国の古き時代の文化を継承し、発展させてきた、
日本文化に傾倒していきました。
また、日本の社会が、
孔子論語の精神を、健全な形で伝えてきたことに感激しました。
すっかり「愛日主義者」となった石平氏は、2007年に日本に帰化し、
完全に祖国と決別したのです。

平氏のほかにも、天安門世代の中国は有能な人材を傑出しています。
天安門事件に失望して来日したエリート層である、
ソフトブレーンの宋文州や、ラオックスの羅怡文をはじめ、
アリババの創業者ジャック・マー、バイドゥ創業者のロビン・リー、
シャオミの雷軍など、中国財界の大物も数多く輩出しています。

平氏は、中国の反日運動について、
政府のプロパガンダを本気で信じているのは、
格差の末端に追いやられた、持たざる者だといいます。
かれらは同時に、潜在的な体制への不満分子ですから、
フラストレーション発散のために、中国政府が与えているのが、
反日愛国主義というオモチャなのだと分析しています。

一方で、私欲にとらわれた金持ちや賢い連中は、
己の利益が保証される限り、体制に反対することはありません。
中国政府は、富裕層を統治するために必要なことは、
かれらに私益を失う恐怖をちらつかせることだと理解し、
かれらを服従させるために、飴と鞭を使い分けているのです。

このように、人民を分断し、操るのが中国の統治者の伝統であり、
その統治は、あくまでも巧妙なのだといいます。
平氏が、自国の暗部や恥部を、これほどまでに冷静に分析できることに、
わたしは、頭が下がります。

古代から、鑑真や蘭渓道隆、無学祖元、一山一寧などの高僧をはじめ、
記録に残らない、多くの中国からの渡来人が来日して、
先進の文化や技術を伝え、この国に定住してくれました。
反日思想を植え込まれた多くの民衆は、日本にとって脅威ですが、
古人に限らず、良心を有する外国人の来日や帰化は歓迎すべきことです。

かれの日本名は、中国名のままの、石 平(せき・へい)ですが、
石平を苗字だと勘違いされることもあるので、
ときに、「石平太郎」を名乗ることもあるそうです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。