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名門高校野球部

よしをです。
センバツに続いて、夏の甲子園大会も中止になりました。
プロ野球は6月から開始という話もあり、
高校野球の大会実施も不可能ではないように思うのですが、
かれらの無念を思うと、胸が締め付けられます。
無観客でおこなうなり、時期を秋以降に延期させるなり、
いくらでも方法はあるように思います。
その是非はどうあれ、
球児にとって、甲子園は就職試験であり、進学試験でもあるのです。

歴史ある広島商業野球部は、
2004年を最後に、甲子園から遠ざかっていました。
広島商業の戦術は、広商野球とよばれ、
一時代の高校野球の象徴ともなっていました。
広島商業の選手は、甲子園で敗れた際に、土を持ち帰りません。
甲子園は、広商の庭であり、
必ず戻る場所だと考えられていたからです。

1973年春、広島商業は、
江川卓を擁する作新学院を破って、準優勝を果たしました。
当時の広商の迫田監督は、
半年前から、この怪物退治の方法を考えていたといいます。

試合前の雨で、準決勝のマウンドはぬかるんでいました。
力投型の投手にとって、足元の不安定は不利です。
さらに、のちに、本人が語るところによれば、
江川投手は、前夜に、首を寝違えており、
一塁側に顔を向けられないというという状態でした。
このように、万全なコンディションとはいえませんでしたが、
広商は、まったく打てませんでした。

広商は、すべてのバッターがホームベースギリギリに立って、
バットを短く持ち、内角に投げづらくさせて、外角の球をカットし、
投球数を増やす作戦をとりました。
ようやく終盤8回に、二死一、二塁というチャンスが訪れ、
ダブルスチールから捕手の悪送球を誘い、
広商は、決勝点を奪い取りました。
これぞ広商野球の真骨頂です。
江川投手は、不調ながら、被安打わずかに2、
11奪三振の好投で、負けた気はしなかったでしょう。

広島商業のプレーの基本は、固い守備とバントといわれています。
強打で決めるのではなく、コツコツと地味な攻めを続ける戦法は、
ときに、「弱者の戦法」といわれることもあります。
バントは、投手、一塁手二塁手の中間に転がすのが理想で、
そこに転がすことさえできれば、
内野安打になる可能性が高いのです。

そのほかにも、広商野球には、
ダブルスチール、空振りスクイズ、3バント、偽投など、
トリックプレーのバリエーションが多く見られます。

このうち、空振りスクイズとは、
無死もしくは一死二・三塁のケースで、両走者がスタートし、
打者がバントを空振りして、三走へのタッチプレーでアウトになる瞬間に、
二走が三走の横をすり抜けて、一気に生還するというプレーです。
バントすらできない、江川攻略の必殺技として開発された戦法です。
対作新戦で、実際には使われませんでしたが、
こんなことを考えて、真剣に練習するチームは、広商だけでしょう。

近年になって、長打力のあるチームが増えたことで、
広商のスモール野球は、通用しなくなってしまいました。
きっかけは、広商が江川投手を攻略した翌年に、
金属バットが導入されたことにあります。

高校野球はプロ化し、
甲子園出場は、全国から有力選手を集める私立高校が占め、
広島県でも、広陵はじめ、如水館、崇徳、広島新庄などが、
甲子園の常連になっています。
また、他地区においても、戦前からの常連校であった、
松山商業高松商業県岐阜商業などの、公立の商業高校は、
昨今は、いずれも私立の後塵を仰いでいます。

令和最初の夏の大会で、広島商業は15年ぶりの出場を果たしました。
残念ながら、一勝をあげることはかないませんでしたが、
古豪復活の第一歩となったことは、うれしく思います。
また、高松商業も春準優勝のあと、春夏連続で甲子園に出場するなど、
各地で、古豪復活の兆しは見えてきているように感じます。

来春のセンバツは、3年生も参加可能として、
参加校も、各都道府県に1校以上に増やすという案はどうでしょうか。
なんとか、3年生に公式戦をさせてあげたいのです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。