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高句麗は誰のものか

よしをです。
朝鮮史でいわれる、三国時代(紀元前1世紀~紀元後7世紀)の、
新羅百済高句麗の三国のうち、高句麗については、
朝鮮の歴史なのか、中国の歴史なのか、論争があります。
現代の韓国では、高句麗朝鮮民族の国としていますが、
中国では、高句麗ツングース族が建国したとして、中国史に加えています。
最近では、習近平国家主席が、その歴史観に基づいて、
アメリカのトランプ大統領に、朝鮮半島は本来、中国のものだと伝えました。

高句麗は、満州頭部から朝鮮半島北部に移動した、
遊牧民である、ツングース系の獏族(ばくぞく)が建てた国であり、
半島南西部の百済や、東南部の新羅のような、
農耕民族である朝鮮民族がつくった国とは、性格が異なります。

百済新羅は、隋、唐に朝貢しましたが、高句麗朝貢していません。
中国では、ツングースを、鮮卑女真、靺鞨などと称し、
高句麗を含めて蛮族扱いし、中華の外の存在としていますから、
高句麗を分類するならば、
少なくとも朝鮮史でないばかりか、中国史でもないとするべきです。

高句麗の広開土王(好太王)は、4世紀末~5世紀に活躍し、
生前は本名を談徳、永楽太王と称し、次代の王である長寿王から、
「広く領土を開いた」という意味の名が贈られました。
その功績は、中国吉林省に存在する、「広開土王碑」に記されています。

広開土王は、北西の契丹を破り、
朝鮮半島の南部にも、たびたび遠征しました。
百済の700の村を奪取し、首都・漢城を落して、百済王を屈服させ、
王の弟や大臣を人質としました。
さらに、西方では、燕と戦闘を交え、東扶余を亡ぼし、
東北の粛慎をうち破り、倭に侵略されていた新羅の救援要請を受けて、
倭をうち破りました。
高句麗の最大の版図は、北朝鮮から、満州までを網羅しています。

韓国は、1998年に竣工した駆逐艦の名前に、
「広開土王」を採択しました。
おそらく、広開土王が、倭軍を破ったという碑の記述が、
韓国海軍の指導部のお気に召したのでしょう。
騎馬民族の広開土王には海戦の経験などなく、
好き放題に朝鮮半島を蹂躙したのも、広開土王でしたが、
韓国人は都合の悪い史実を忘れてしまう性質があります。

そういえば、
日本の海上自衛隊の哨戒機に、レーダー照射したのが、
その「広開土王」でした。


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