さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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桃園の誓い

よしをです。
黄巾賊退治の義兵を募集する高札の前で、
ため息をついているひとりの男がいました。
「大の男が世のために働くこともなく、ため息をつくとは情けない」。
声を掛けたのは身の丈8尺(184センチ)、豹頭環眼、燕頷虎鬚の大男でした。
最初の男が「自分がため息をついたのは、己の無力に対してだ」というと、
虎鬚の男は、それなら自分と一緒に立ち上がろうと誘います。
訪れた酒場で、二人は虎鬚の男よりもさらに大きい身の丈9尺(208センチ)、
髭の長さ2尺(45センチ)の威風堂々とした偉丈夫と出会いました。
三人はたちまち意気投合して、
虎鬚の男の屋敷の桃園で、満開の花のもと、義兄弟の誓いを交わしました。
年齢順に、最初の男・劉備を長兄に、次兄を長髭の男・関羽に、
末弟を虎鬚の男・張飛としました。

「われら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んじることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せんことを願わん。皇天后土(天の神、地の神)よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし」。

劉備漢王朝につながる中山靖王劉勝の末裔という高貴な出自でしたが、
生活は大変に貧しく、母とふたりで筵をつくって暮らしていました。
張飛は豊かな商人の家系で、正義感は強いがトラブルメーカー、
関羽は各地を転々として渡り歩いていた任侠の男でした。
接点のない三人ですが、かれらに共通するのは正義感でした。

劉備一派は運にも才能にも恵まれませんでした。
劉備曹操との戦いで、関羽は生け捕られてしまいますが、
名将の誉れの高い関羽は、曹操から厚遇されました。
義理堅い関羽曹操に恩義を覚えますが、陣営に加わることは望まず、
曹操に報いるために、充分な武功を立ててから、
行方不明の劉備を探し出して、合流しようと考えていたのです。
関羽曹操と敵対する袁紹のふたりの将軍、顔良文醜の首級を挙げ、
曹操の元を去って、追手を遮り千里を駆けると、
ようやく劉備との感動の再会を果たすことができました。

長い戦いを経て、劉備蜀漢の地を手中に収めました。
その矢先、荊州を守備していた関羽が、
呉の呂蒙陸遜の計略に破れて処刑され、
関羽の弔い合戦に合流しようとした張飛もまた、
部下の裏切りによって、寝首をかかれてしまいました。
立て続けに義兄弟を喪った劉備は、
ふたりの敵討ちのために大軍をおこして呉を攻めますが、
またしても陸遜の計略によって大敗し、白帝城に逃げこみました。

白帝城に逃げ、すっかり体調を崩した劉備の枕元に、関羽張飛が現れ、
「兄弟三人はまた集うことになるだろう」と告げると、
劉備は自分の死を悟ったといわれています。

正史には、劉備は、口数は少ないが誠実な男で、
誰に対してもへりくだった態度で接したため、人を集めたと書かれています。
様々な人物と交流を重ね、若者や力自慢との人脈を築いた劉備のもとに、
評判を聞きつけて関羽張飛が近づいたのでしょうか。
劉備も、ふたりを頼れるボディーガードとして
破格の扱いをしたのかもしれませんが、こんな解説はいかにも無粋です。


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