さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

猥雑の境界線

よしをです。

スサノオノミコトの乱暴な振る舞いに怒ったアマテラスオオミカミは、

天の岩戸に隠れてしまい、世界が真っ暗闇になってしまいました。

困った神々は、アマテラスに岩戸から出てくるようにお願いしますが、

一向に返事がありません。

そこでアメノウズメノミコトが一計を案じ、

岩戸の前で胸をさらけ出し、衣のひもを下げ、下半身を出して妖艶に踊ると、

八百万の神々は一斉に歓声をあげました。

「外はなんの騒ぎか」と岩戸の中から覗き見たアマテラスの手を、

アメノタカラチオが引っ張り出したので、世界はまた明るくなりました。

 

古代より、人間の営みのひとつとして、

現代人が考えるところの猥雑、下品な物語が語られてきました。

天の岩戸の話は、要するにストリップショーなのですが、

神々は、一種のハレの儀式として、踊りを眺めていたのでしょう。

 

江戸時代、大店の若い娘が病気になりました。

多くの医者が診察しましたが、手の施しようがないとして、

匙を投げられてしまいました。

そこに、ひとりの胡散臭そうな医者が現れ、

娘の姿を一目見て、かならず病気を治すといいます。

 

藁をもすがる思いで、父親が医者に託すと、

その医者は、「病人の部屋を覗き見てはいけない」といって、

娘と二人きりになります。

心配でたまらない父親は、ふすま越しに病室に聞き耳をたてると、

何やら、医者は難しい話をしている様子です。

 

そのような治療を続けると、娘の容体は、どんどんよくなっていきました。

不思議に思った父親が、医者に理由を尋ねると、

実は、小難しい話をしながら、

はだけた着物の裾から金玉を覗かせていたのだといいます。

口では難しいことをいいながら、間抜けに金玉を見せているものですから、

娘は思わず笑ってしまい、

そのように心をほぐしていくうちに、病が回復したということでした。

 

金玉に治療代を支払っていたことに憤慨した父親は、

金をケチって、娘に自分の金玉を見せると、

娘は目を回して卒倒してしまいました。

慌てた父親が泣きつくと、医者はどうやって見せたのかを尋ねます。

「丸ごとポロっと」、と父親。

「そりゃいかん。薬が効きすぎた」。

 

以上が落語「金玉医者」のあらすじです。

落語のファンの間でも、「こんな下品な噺があって」などと、

冷ややかな視線で見られることが多いネタですが、

よく内容を吟味してみると、娘の病気は、おそらく心因性のもので、

金玉医者は、それを見抜いて治療していたということですから、

なかなか含蓄のある作品といえるかもしれません。

 

江戸時代、男は、着物の下に褌をしめ、

家の中では、胡坐をかいて座るわけですから、

ときどき、褌の隙間から一物が見えることもあったでしょう。

したがって、この時代の人間にとって(女性にとっても)、

男の下腹部が見えかくれすることは、特段珍しいことでもなく、

現代人が考えるような猥雑な光景ではなかったかもしれません。

 

天の岩戸の物語も同様です。

もともと古代の人びとは、裸に近い服装をしていたわけですから、

先述のように、神々は、女性の裸に興奮の声をあげていたわけではなく、

踊り自体を、囃し立てていたということになります。

現代人の倫理観や猥雑に関する考えは、

異なる時代のものと合致するとは限らないという訳なのです。

 

さて、金玉医者の話に戻すと、

立川談志はガンとの闘病から復帰すると、この噺を執拗に演じました。

談志信者は、かれが大ネタを演じることに飽きてしまったため、

このようなくだらない噺を繰り返し演じたのだといいますが、

わたしは、談志が体力的にも、精神的にも、

看板ネタである、芝浜や富久、らくだを演じるパワーを、

失っていただけなのだと思います。

 

弟子の立川志らくは自分の落語のマクラで、

談志が、ある独演会で金玉医者を演じたところ、まったくウケず、

楽屋でしょんぼりしていたと語っています。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。