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出羽守今昔

よしをです。

大坂夏の陣で、難攻不落と謳われた大坂城が、ついに落城しました。

城内には、豊臣秀頼正室であり、徳川家康の孫娘である、

千姫が残されました。

総大将の徳川秀忠千姫の父)は千姫奪還を命じました。

家臣は目の色を変えました。

もし、千姫を救出すれば大手柄であり、

ひょっとすると、千姫を娶り、徳川家と親戚になれるかもしれません。

 

真っ先に、燃え盛る城内に飛び込んで千姫を救出したのは、

坂崎出羽守直盛という、徳川家の直臣でした。

諸将は出羽守の出世を間違いないものと、噂したことでしょう。

ところがその後、

千姫には本多忠刻との縁談がまとまってしまいました。

千姫を救出した出羽守は、その際に顔に大やけどを負っていました。

一説には、出羽守の顔のやけどを怖がって、

姫は出羽守を遠ざけたともいわれていますが、真偽は不明です。

ともかく、千姫を与えられなかったことについて、

出羽守は屈辱と感じ、千姫を奪還する計画を立て、

計画が発覚すると、自害したといわれています。

 

現代において、

海外などの事例をあげて、当方の状況の瑕疵を挙げへつらう人種を、

皮肉を込めて「出羽守」というそうです。

テレビのワイドショーをはじめ、SNSなどでも、

このような発言を繰り返す人たちが後を絶たず、

とくに今回の、武漢肺炎のパンデミックにおいて顕著です。

 

出羽守の論拠は、他者との比較を根底においていて、

単純明快な印象を与えやすい反面、

我田引水のために、

自らに都合のいい特殊な事例を引き合いに出したり、

物事の経緯や背景を無視するなど、程度の低い論調も多く見られます。

自らは安全な位置にいて、他者を批判することが多く、

先だっての国家公務員の定年延長法案のように、

出羽守に乗せられてしまった人たちが、さらに批判を拡散させるという、

悪循環に陥ることも多いのです。

 

坂崎出羽守との決定的な違いは、

現代の出羽守には、自らの主張や結果に覚悟がないことでしょう。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。