さようなら五島勉
よしをです。
1999年7月に人類が滅亡するというショッキングな予言により、
日本で世紀末ブームをおこした「ノストラダムスの大予言」の著者、
五島勉氏が今年の6月、90歳で亡くなりました。
「ノストラダムスの大予言」が1973年に出版されると、
日本中の多くの人が人類滅亡の恐怖に恐れおののきました。
当時小学生だったわたしも、自分が30代で死んでしまうことに、
密かな恐怖心を抱いていましたが、
当時は、将来を悲観して自殺する若者がいたとか、
「どうせ死んでしまうのだから、自分は結婚しないし、子どももつくらない」
という若い女性も多かったといいます。
その後も、五島氏やほかの作家の著作や雑誌などで、
つぎつぎと世紀末の恐怖が語られましたが、
1999年7月を過ぎても、世界は何も変わることはありませんでした。
2019年、五島氏は雑誌やテレビのインタビューに答えています。
「当時の子どもたちには謝りたい。子どもが読むとは思っていなかったんですよ。まじめな子どもたちは悩んでご飯が食べられなくなったり…。それは謝りたいと思う」と、
謝罪したあと、さらに、
「はじめに1999年って出ているでしょ?多くの人はそっちのほうしか読まない。最後に『残された望みとは?』として、未来の展望も語っているんです」と、
半分言い訳のようなコメントを残しています。
現代の若者や子どもたちが、ノストラダムスのような預言者に恐怖を感じて
パニックに陥ることは、ほとんど考えられません。
なぜなら、ノストラダムスの予言が受け入れられたのは、
発刊当時の世相を反映していたからです。
1973年といえば米ソ冷戦時代の真っただ中でした。
第一次オイルショックやインフレなどの重苦しい世情のなか、
第三次世界大戦や核戦争の可能性が囁かれていた時代です。
あの本によって人生を誤った人がどれぐらいいたのか知りませんが、
影響力が五島氏の想像をはるかに超えていたことに疑いはなく、
のちにオウム真理教にも影響を与えたともいわれています。
これらのことから、最晩年になって、かれの口から、
紹介したような反省や懺悔の言葉が出ることになったのでしょう。
予言が外れた言い訳を重ねなければならなかった、
2000年以降のかれの人生については、気の毒にも思います。
五島氏はその後もユダヤ人陰謀論などを展開してオカルト論を積み重ね、
引っ込みがつかなくなってしまいました。
考えてみれば五島氏とは不器用な人で、
元々かれはフランスや西欧の神学研究者や歴史研究者でもなんでもなく、
「微笑」や「女性自身」といった、女性誌の記者出身なのです。
どこかのタイミングで、エッセイストに転身するとか、
「いや~儲けさせてもらいました。印税で家一軒建てさせてもらいました。ノストラダムス様々ですわ」などと笑い飛ばして、
「能州虎(のすとら)神社」でもこしらえていれば、
罪悪感に苛まれて謝罪することもなく、洒落で済んだのでしょうが、
五島氏はそのようなキャラクターではなかったようです。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。