さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

地名の警告

よしをです。

7月豪雨は、九州や中部地方だけでなく、

各地に洪水や山崩れの被害を発生させました。

被害に遭った地区は、過去何度も同じ災害が発生しているところです。

さまざまな事情はあるのでしょうが、災害が落ち着いたあと、

また同じ場所に住み続けることで、数年後、あるいは数十年後に

ふたたび被災する可能性が高いことを考えると、

可能であれば移住を決断すべきだと思います。

 

磯田道史氏の「天災から日本史を読み直す(中公文庫)」には、

地名にまつわるいくつものエピソードが語られています。

数年前に大きな土砂崩れ災害をもたらした広島県では、

戦国武将・香川勝雄の大蛇退治の伝説が紹介されています。

蛇というのは河川災害をあらわす言葉です。

広島県には「蛇落地」「蛇王池」という地名があり、

同地の方言で、土砂崩れを「蛇崩れ」「蛇落(じゃらく)」といったそうです。

しかし1762年(宝暦12年)の土地台帳には、

すでに「蛇落地(じゃらくち)」の地名はなく、

音のよく似た「上楽地(じょうらくち)」という地名に変えられています。

おそらく、当時の住民が忌まわしい記憶を縁起のいい名前に変えてしまい、

先人たちの警告を消してしまったのでしょう。

 

かつて広島市安芸区矢野東地区は、

民家の30%が土石流に飲み込まれるという甚大な被害を出しました。

造成された住宅団地は「梅河ハイツ」と呼ばれていました。

「梅河」は「埋川」に通じ、かつて川が流れていたことが想像できますが、

おそらく過去に水害や山崩れがあり、

やはり縁起を担いで松竹梅の梅の字を当てたのでしょう。

ちなみに周辺には、「滑ヶ谷」「荒巻」「荒川山」といった、

災害を得連想させる地名が残っています。

 

岡山県倉敷市真備町の町名は、

奈良時代の学者・吉備真備に由来しますが、

この町の川辺地区は、文字通り水害が多発する地域です。

川辺地区を流れる高梁川は、大雨が降ると、

小田川と合流する地点で水量が多くなり逆流が起きやすくなるため、

豊臣秀吉がこの川の性質を利用して、

高松城の水攻めに用いたことでも知られています。

 

江戸時代になってこの地を治めた備中岡田藩の初代藩主・伊東長実は、

川辺地区全体を「神楽土手」という堤防で囲み、水害に備えました。

伊東が同じように水害に悩む美濃池田郡に領地を得ていたことから、

池田の「輪中」の技術を応用して、集落を土手で囲んだのでした。

 

愛媛県の肘川は、流れ込む資料が400を超え、

「肘のように湾曲している」、「泥土(ひじ)が多い」ことに由来しています。

名前の由来は、信州を流れる千曲川と同じです。

支流との合流点の大洲地区は、

高梁川と同様の理由で水害が多いことで知られています。

 

鎌倉幕府から伊予の守護に任じられた宇都宮豊房は、

大洲に城を築こうとしますが、

水害に祟られて工事がすすまず、人柱をたてることにしました。

くじ引きの結果、人柱に選ばれたのが「おひじ」という若い娘で、

娘は、自分が犠牲になる代わりに、

城下を流れる川に自分の名前をつけてくれるように頼んだのが、     

肘川の名前の由来だという言い伝えもあります。

 

いくつか紹介したように、

水害をあらわす地名には、「さんずい」の漢字や、

蛇や竜などの文字が当てられるパターンが多いですが、

先述のように、「埋」⇒「梅」、「蛇落」⇒「上楽」のように、

忌み事を避けて同音異語に置き換えられているケースも多いのです。

 

人は忘れてしまう生き物ですが、

先人は、言葉の力であえて穢れ(ケ)を振り払おうとしてきました。

そのために、何度も被災するという悪循環にもなってしまいます。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。