さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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マキャベリの悲しみ

よしをです。

マキャベリの「君主論」の一節に、

「優柔不断な君主は、当座の危険を避けようとして、中立の道を選び、

大抵失敗する」とあり、わたしは、この言葉を座右の銘としています。

 

決断できることが才能の大きな要素であり、

その結末についても、自分の責任として受け止めなければなりません。

これは、わたしの「卒サラ」の最大のテーマでもありますが、

人生において、一度は清水の舞台から飛び降りてみることが必要です。

 

君主論」は、さまざまなビジネス書にも取り上げられ、

現代では、目的のためには手段を択ばないという意味で、

マキャベリズムという言葉が使われています。

人も組織も、理想論や人情で動かすことはできず、

指導者というのは、リアリストでなければならないという「君主論」の論旨から、

マキャベリ自身が、強力な信念の持ち主であると思われがちですが、

かれの実態は、想像とは少し異なっています。

 

ニコロ・マキャベリは、メディチ家が支配するフィレンツェ共和国で、

内政・軍事・外交を担う第二書記局長となり、

外交力を駆使して、強国に囲まれた祖国を戦火から守り続けました。

しかし、1512年、ドイツとスペインの連合軍によって、

ついに共和国は崩壊し、メディチ家が追放されると、

マキャベリは職を失い、放逐されました。

 

追放後、かれの経験と構想をまとめたものが「君主論」です。

マキャベリは、「君主論」によって、

権力の舞台に返り咲く野望を抱いていましたが、思いは叶わず、

再び活躍の場を得ることはできませんでした。

メディチ家を打倒した新共和政府は、冷徹で優秀な頭脳をもつマキャベリが、

新政府に入れば、自分たちの地位が脅かされると考え、

また、メディチ家も、マキャベリの本来の才能を見誤っていました。

マキャベリは、復権したメディチ家に「君主論」を贈りますが、返答はなく、

次代の当主となったジュリオ・メディチが、マキャベリに与えた仕事は、

フィレンツェ史」を書くことでした。

 

マキャベリは生存中、「君主論」の著者ではなく、

喜劇「マンドラゴラ」の作者として知られていました。

 

主人公カリマコは、人妻ルクレツィアを自分のものにするため、

医者に変装して、ルクレツィアの夫のニチアに近づき、

マンドラゴラという子宝の妙薬を夫人に飲ませるように持ち掛けます。

カリマコは、この薬には難点があり、

服用したあと、最初に交わる男は命を落とすとニチアに伝えます。

そして、自分が身代わりになることを提案し、

カリマコはまんまと思いを遂げ、ルクレツィアは妊娠するという、

まことに下品な作品です。

 

マキャベリの真意は、この作品によって、

修道士の堕落を風刺することだったらしいのですが、

不本意にも、喜劇作家として有名になってしまいました。

マキャベリは、当時、

「歴史家・喜劇作家・悲劇作家」と自嘲気味に称していたといいます。

実生活においても、マキャベリは好色で知られ、相手の身分も気にせず、

機会があれば、まさに手あたり次第で女に手を出していたといわれています。

 

かれが生き方を変えて、

喜劇作家として、「この世界を楽しむ」という世界観にたどり着くことも

可能だったかもしれませんが、

マキャベリは、政治の世界への野心を失っていませんでした。

マキャベリの苦悩は深く、

結局、かれほどの才能をもちながら、自分の姿が他者にどう見え、

政治の舞台への復帰が叶わなかった理由も皆目理解できず、

絶望のなか、58歳でこの世を去りました。

 

君主論」が評価されたのは、マキャベリの死後のことでした。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。