さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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妻は強し

よしをです。

諏訪部定勝は、関東の勇・北条氏邦が率いる秩父衆の重鎮であり、

勇猛果敢な豪将として知られていました。

当時の関東北部は、

北条氏と武田氏、上杉氏という、3つの強大な勢力が拮抗していました。

諏訪部定勝は、北条領の西関東の重要拠点であった、

武蔵国の日尾城(現在の埼玉県小鹿野町)を守備していました。

武田信玄が小田原へ攻め込んだ際には、

定勝は、野伏りを集めてゲリラ戦で攪乱するなどの武功をあげました。

 

軍略にも優れていた定勝の弱点は、酒癖の悪さでした。

一晩に三升飲み干す酒豪であり、翌日は大概二日酔いの状態で、

ひどいときは、酒の勢いで敵中に攻め込むような無茶苦茶ぶりでした。

いつしか、妻の遠山氏が主人に代わって采配をふるうのが習慣になり、

諏訪部家中の者たちも、それを当然のように受け入れていました。

 

敵が押し寄せると、

遠山氏が先頭に立って薙刀を携え、武装した侍女たちが続きます。

遠山氏の指揮のもと、日尾城の将士は、城に押し寄せる敵勢と戦い、

やがて、二日酔いの定勝が指揮に加わりました。

また、定勝が城を留守にしたときも、遠山氏が居城を守り、

付け入るスキを見せませんでした。

 

定勝がいつものように泥酔していると、

武田信玄の軍が日尾城に押し寄せるという一報が入りました。

敵方は、勇猛果敢で知られた山縣昌影の精鋭部隊です。

山縣は、部隊の軍曹を赤一色で統一し、諸大名から畏れられていました。

ちなみに、この「赤備え」は最強部隊の代名詞になり、

のちに、徳川家康の家臣である井伊直正や真田幸村にも採用されています。

 

今回の武田軍は真剣です。

しかし、定勝は起き上がることができません。

こんな緊急時に、二日酔いで寝込んでしまうとは…。

前夜に一体どれだけ呑んだらこうなるのか、理解に苦しみますが、

遠山氏は、動揺することなく、二日酔いの夫に代わって指揮をとり、

自ら薙刀を使い、山縣勢を撃退しました。

 

その後、定勝は主君の北条氏邦にこっぴどく叱責され、

謝罪して禁酒を誓ったといいます。

そして、生涯、日尾城を守り通しました。

 

諏訪部定勝は、豊臣秀吉の小田原攻めの前年に没しました。

遠山氏は出家して妙喜尼となり、菩提を弔ったそうです。

豊臣軍と対峙する際、もし、諏訪部夫妻が健在ならば、

のぼうの城」のような、興味深い逸話が生まれていたに

違いないと思います。

 

…嫁は強い。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。